夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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ウシュアイア(Ushuaia)→ブエノス・アイレス(Buenos Aires)
2006.01.25
アルゼンチン国内移動

移動内容
11:50-12:05 ウシュアイアの宿から空港までタクシーで移動。
タクシー運賃 A$12(=US$3.75) by 現金
14:30-18:40 ウシュアイアからブエノス・アイレスまで飛行機で移動。
航空運賃 A$310.6(=US$97.06)/人 by 現金
空港使用税 A$13(=US$4.06)/人 by 現金
荷物超過料金(2人で30kg超過) A$112(=US$35) by 現金
18:55-19:23 ブエノス・アイレスのエセイサ空港から宿までレミースで移動。
レミース運賃 A$72(=US$22.5)/人 by 現金
19:30-20:00 宿探しの後、宿決定してチェックイン。
※2006.01現在、US$1= A$3.2(アルゼンチンペソ)で計算しています。
※アルゼンチンは通常$と表記されますが区別のためA$と表記しました。

 ウシュアイアに到着したのは1月18日だった。この地域のハイシーズンを迎えているということもあり、とりあえずブエノス・アイレスに飛ぶ航空チケットの手配だけは真っ先に済ませておかなければと、到着翌日の19日に、ウシュアイアの町中にあるアルゼンチン航空のオフィスを訪ねた。

 1月25日に出発したいのですが、と問い合わせると、係りの女性はコンピュータにカチャカチャとデータを打ち込んで横に首を振った。何も言わずに、カチャカチャと打ち込んでは横に首を振るのがずーーーっと続いた後、「現在取れるチケットで一番近い日は2月9日ですねぇ」と言われた。何と!2月9日といったら20日以上も先の話になるではないか。

 自由な旅行の私たちではあるが、2月末にはリオ・デ・ジャネイロでカーニバルを見るビッグイベントが待っており、そこまでの見所を考えて各都市での滞在日数を割り振ると、どうしてもウシュアイアに20日も居られない計算になる。困ったなぁ。

 ガイドブックを見ると、ウシュアイアからブエノス・アイレスまでは、もう一つ、ラデLade空軍航空というのがあると書いてある。早速オフィスを訪ねると、シエスタで午後3時から再開という札がかかって閉まっていた。んもう、人が焦っているのにシエスタするなー!空軍の癖に昼寝するなー!とブツブツいいながら、コーヒーでも飲んで待とうと、ラデの目の前のカフェに陣取って待つことにした。

 そんな時、コスタリカで知り合ったイギリス人のマイクと偶然再会(詳細は「出会った人」2006年1月19日を参照)。コスタリカからここまでのお互いの道のりを報告しあってから、これからの予定に話が及んで、今の状況を話した。マイクは「うーん、バスで行くと3日くらいかかるからきついねぇ」と同情してくれた。彼自身は色々と寄りながら行くので、初めからバスで北上する予定だった。こうしてオフィスが開くまで、楽しい時間を過ごし、マイクと再開を祈って別れた。

 午後3時を数分過ぎただけなのに、オフィスには既に我々以外に2組も待ち客がいた。この状況からして混雑を予想させる。しかし一方では、地味なオフィスの作り、公務員らしい折り目正しい雰囲気の対応の女性から、大手の旅行会社はこの航空会社の飛行機は使わないだろうなぁなどという勝手な想像が働き、ま、アルゼンチン航空よりは空いているだろうと楽観視していた。

 と・こ・ろ・が、である。我々の順番が来て調べてもらうと、何とこちらは2月16日まで満席だという答えだった。むむむむむー。もう私の頭の中は、3日間バスに缶詰にされて、食事もまずくて喉を通らない、お風呂にも入れない、眠いような眠くないような、だるいような、やせた様な太ったような、不愉快な自分たちの姿で頭がいっぱいになった。あー、あー、そんな思いはまっぴらごめんだ。どうにかならないかなぁ。そうだ、もしかしたら、3日間ずっとバスで行かなくても、途中までバスで行けば飛行機がある町があるかもしれないと思いついた。

 こうなったら旅行代理店に行って、そうした経路を洗いだしてもらうしかない。ということで、旅行代理店の場所を確認するために旅行案内所に行った。案内所には旅行客があふれており、相手をしてもらえるまでに時間がかかりそうだった。仕方ないので、待ち行列に並んだ時、案内所の入り口付近のパンフレット置き場に気付き、ふと見ると一軒の旅行代理店のパンフレットがある。ここでぼんやりと待っていると焦りが余計に募りそうな気がしたので、とにかく行動することにし、パンフレットにある地図を頼りに、その旅行代理店ASHUANA VIAJESを訪ねた。

 オフィスはお客1組でいっぱいになってしまうくらいの小さな所だったが、カウンターの向こうには2〜3人のスタッフが忙しそうに働いていて、明るく新しい内装の清潔な所だった。やり手そうな大柄の女性が対応してくれた。まず、「我々は1月26日にブエノス・アイレスに飛行機で行きたいのだが・・・」と切り出した。アルゼンチン航空もラデ空軍もチケットがなかったので、バスで途中まで行ってそこから飛行機を使う経路を調べてほしいんですけどねぇ、と話しているうちに、彼女はカチャカチャとキーボードをたたき、「26日だと夜中の便なら空き席がありますね」とサラッと言った。何?飛行機の席があるの?

 26日の夜9時36分発で夜中の1時にブエノス・アイレスに到着する便に空き席があるのだという。夜中の1時にブエノス・アイレスに到着ねぇ。席があるのは嬉しいが、都会に夜中に到着して行動するのは危険な香りがいっぱいする。どうしようか。

 因みに1日前の25日の空き状況を調べてもらうと、こちらは午後2時半発の便に空き席があると言った。ただし、この便は市内から遠いエセイサ国際空港に到着するので、それが問題だということだった。エセイサから市内までレミースという空港タクシーを利用するとA$50(=US$16.66)かそれ以上かかるのだという。しかし、我々にとって近くの国内線空港に夜中に到着するよりも、安全な時間帯に到着するアドバンテージの方が高い。

 ということで、予定よりは1日前倒しになったが25日発のチケットを手配してもらうことができた。彼女は更に、空港からブエノス・アイレス市内で通常のタクシーを利用して、料金をだまされたり、妙な所に連れて行かれる事件も聞いているので、レミースという空港タクシーを利用することを勧めると忠告してくれた。レミースの予約は、この旅行代理店から手数料なしで予約してくれるということだったので、レミースも予約してもらった。現地では予約番号と予約者名で本人確認するので、予約番号は忘れずに控えていてほしいということだった。

 手続きが終了してから、なぜこの旅行代理店ではこのようなことが可能なのかを聞いてみた。すると、彼女はこの旅行代理店で申し込んだお客さんが25日発ブエノス・アイレス行きを数日前にキャンセルされたのを知っていてからだと答えた。つまり、旅行代理店ではキャンセルのお客さんが出た場合、航空会社にはすぐに報告せずにホールドしておき、次のお客さんに再度販売することができるのだろう。だからアルゼンチン航空の端末では2月9日まで満席という結果にもかかわらず、この代理店ではチケットがあるという状況になっているのだろう。そう考えると、他の旅行代理店を周れば、昼の時間帯の国内線空港行きのチケットも見つかるかもしれなかったが、今回はここで手を打つことにした。

 25日は午後2時半出発の便だったが、余裕をみて12時に宿を出ることにした。私たちの翌日からウシュアイアに宿泊しているライダーの松岡さんと昨日到着したばかりの若い女性3人に見送られて、タクシーで空港に向った。若い女性の1人で、この写真を撮ってくれた通称山田マン(♀)とはチリのサンティアゴの日本人宿、ペンション内藤でも会っており、もう少しゆっくりと話したかったのだが、慌しい再会と別れになってしまった。

 ウシュアイアの空港は、宿から町を抜けてほどなくしてある。ウシュアイアの町を通ると、海岸線沿いに豪華客船と軍艦が見えた。

 ここから南極に行くツアーは、通常価格で最低US$4000くらいで販売されている。上のクラスの南極ツアーは日本からだと160万円なんていうのもあるらしい。タキシードとカクテルドレスで着飾った紳士淑女を乗せた豪華客船はウシュアイアのイメージにふさわしい。一方で、フォークランド諸島も近いウシュアイアは、アルゼンチンの防衛の拠点でもあるのだろう。チリとアルゼンチンはこの辺りの海域を巡って、攻防戦を密かに繰り広げているようだし、ウシュアイアにおいて軍艦を見るというのも又、この町らしいともいえる。この2つの側面を見るかのような光景は、ウシュアイアの最後にふさわしい一枚なのではないだろうか。そんなことを思いながらウシュアイアの町を通り過ぎた。

 空港までは本当にあっという間だった。「もっとゆっくり出ればいいじゃない」という上野亭の女主人、上野綾子さんの意見はもっともだった。空港に入って、まずはチェックイン。いつものように荷物は限度を40kg超過しており、過重荷物に対する料金が発生。そしてアルゼンチン航空は以前もそうだったが、「あなただけに対するオマケよん!」という雰囲気で「40kg超過ですが10kgサービスして30kg分の超過を徴収します」と言った。そして、これも毎度のように「次回の旅行では絶対に荷物を減らそうね」と夫婦での会話がなされた。

 超過料金を支払うと、そのカウンターの並びで左手奥にあるカウンターで空港税を支払う。支払った証拠のスタンプを搭乗券に押されたら全ての手続きは終了だ。

 全体が大きな屋根のようになった空港は1階で手続きを行い、手荷物と身体検査をして中に入ると2階が待合ロビーになっているという簡単な作りで、見るべきお店もわずかにしかなく、本当に何もすることのない空港だった。

 2時半をすぎてから搭乗が始まり、ウシュアイアまでの飛行機はほぼ満席の状態で離陸した。

 我々の席は後ろから5か6列目くらいで、これが原因でキャンセルが出たのかと思うくらいにエンジンの音がうるさく響く席だった。まるで軍用機にでも乗せられているような気分だったが、赤ワイン、赤ワイン、赤ワインと3回くらい赤ワイン攻撃をしたら、耳はだいぶアホになって騒音は気にならなくなった。私など儚い動物なのである。

 2時間も飛ぶと、眼下の景色は一面の田園風景になっていった。アルゼンチンは食物自給率が高い農業国。どこで野菜を食べても、そしてもちろん牛肉もとてもおいしい国だ。それを象徴するかのようなこの風景は、アルゼンチンらしいと感じられるものだった。思えば、北アルゼンチンのフフイから入って、チリとアルゼンチンをジグザグと南に下りながら来る途中の風景は、時々は牧草地帯を目にするものの、ある時は殺伐とした、ある時は荒涼とした風景だった。南パタゴニアに入ってからは、丈の短い草原が続くパンパばかりを目にしてきた。こうして、豊かな農業国を支えている畑を見て、おいしい食事の源を確認すると共に、壮大な自然を私たちに見せてくれたパタゴニアが終わってしまったんだなぁとしみじみと空の上で思ったのだった。

 こうして18時半近く、飛行機は無事にアルゼンチンのエセイサ国際空港に到着した。今まで田舎でのんびりと暮らしていたが、今日からは大都会だ。気を引き締めていかなくっちゃと思っていたが、荷物を受け取って予約していた空港タクシー、レミースのカウンターでA$50(=US$16.67)くらいだろうと聞かされていたタクシー運賃がAS$72(=US$22.5)だと聞かされて、否が応でも都会に来た気分を思い知らされたのであった。

 更に数日前まではガラガラだという情報が入っていた、日本人が多く集まるビクトリア・ホテルは今日は満室。夜の7時半から宿探しをしなければならなくなった。幸いにもビクトリア・ホテルの人が荷物を預かり、周辺の宿を紹介してくれたので、角を曲がった所のきれいなホステルに入ることができたのでよかったのだが。こうして、アルゼンチンの大都会、ブエノス・アイレスでの生活が始まった。


 
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