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ブルガリア・ソフィア(Sofia)→トルコ・イスタンブール(Istanbul)
2006.10.16 |
ブルガリア→トルコ |
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移動内容 |
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07:55-08:05 |
宿を出て徒歩で路面電車の乗り場まで移動。 |
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08:10-08:21 |
宿の最寄の停留所から路面電車で国際バスターミナルまで移動
路面電車運賃 LB0.7(=US$0.45)/人 by 現金
罰金 LB7(=US$4.5)/人 by 現金
※罰金の顛末についてはSketchを参照ください。 |
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09:30-13:57 |
ソフィアの国際バスターミナルからイスタンブールまでバスで移動し、ブルガリアとトルコの国境に到着
バス運賃 LB40(=US$25.64)/人 by 現金 |
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13:57-15:19 |
国境手続きで待ったり、荷物を降ろしたり。 |
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15:19-18:27 |
国境手続きを終え、同じバスでイスタンブールのオトガル(中央バスターミナル)まで移動。 |
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19:01-19:45 |
イスタンブールのオトガル(中央バスターミナル)から宿まで地下鉄とトラムで移動。
地下鉄運賃 TRY1.3(=US$0.88)/人 by 現金
トラム運賃 TRY1.3(=US$0.88)/人 by 現金 |
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※2006.10.08現在、US$1= LB1.56 = TRY1.48で計算 |
これが罰金のチケット。支払うとやぶって渡して
くれる。 |
ソフィアの国際バスターミナルまでの移動の騒動は同日のスケッチにゆだねるとして、とにかく罰金を支払ってブルガリアの通過であるレバ無一文になった私たちは、国際バスターミナル内の売店でユーロを受け付けていないということで、一体昼飯をどうやって調達するのかという不安におののきながらも、前々日にチケットを購入しておいたメトロMetroというバス会社のバスに乗り込んだ。(もちろん両替所はあるのだが、昼飯ごときの数ユーロを手数料を支払ってレバに変える気は毛頭なかった)
Metroの男性運転手二名と車掌さん女性二名はトルコ人らしかった。言語も今までのロシアっぽいのからいきなりトルコ語に。車内のビデオに映し出される音楽も映像もトルコ。ソフィア発とはいえ、バスに一歩入ったとたんにムンムンとトルコが漂っていた。
国境までは順調な旅。うすーく昼食がでないかなぁと期待していたが、お茶や水などはひっきりなしに出てくるのに、食べるものはスポンジケーキ一つだけだった。
このスポンジケーキは今後のトルコ内のバス移動でも必ず振舞われる。バス会社だけでなく街中で食べている人も見かけ、人気があるのかと思われる。そんなにパサついてもいないが、大好きになるほどしっとりしていない。
国境ではブルガリア側とトルコ側で1時間半かかるだろうと聞かされていたので、ブルガリア側を20分で抜けた時、今回だけは、私たちだけは何らかの理由で早く通過できたのだろうと喜んだ。
イスタンブールの予定到着時間は午後6時。少しでも早く到着すればご飯にありつける時間が早くなる。
しかし、その期待はトルコ側の国境に移動してバスが停車したとたんに単なるぬか喜びだったことがわかった。
バスの中から見える塀。その塀の隙間から、台の上に荷物を広げて検査を受けている大勢の人の姿が見えたのだ。前の大型バスの乗客らしい。この人たちの荷物検査にたっぷり45分はかかっていた。
やれやれ。これから私たちも45分かけて検査が行われるのだろう。
全員でバスを降り、用意されていたベンチのような板の上に荷物を置く。係官が来たらすぐに荷物を見せられるように全ての南京錠をはずして待機した。
ところが、私たちのバスの乗客の検査官ときたら、「はいはいはいー」と抜き打ち的に数人の人の荷物を見ただけで、私たちなんて開けなくてもいいとさえ言われ、検査はあっという間に終わってしまった。ブルガリア人とトルコ人以外の観光客が多かったせいなのか、私たちの後にも大型バスが何台も待機しているのに恐れをなしたのか、理由は定かではなかったが、「トルコ入国の際にじっくりと荷物検査される」ことはなかった。
再びバスに乗り込み、あとは一路トルコへ。トルコに入ってから急に道路の状態がよくなった。ブルガリアとトルコの国の力の差を体で感じた瞬間だ。
夕刻のイスタンブールの国際バスターミナルに到着。予定よりも1時間早い9時間で到着。でも9時間。この旅が始まった頃、私たちはバスで移動するのは一日4時間以内にしようね!なんて言っていたのが今となっては懐かしい。
長時間のバス移動、空腹、疲労、雨。そして首都。外国人旅行者がだまされる条件を十二分にひっさげて、私たちはこれから宿まで移動しなければならない。
案の定、あちこちから「こんにちは」「中心地まで行く?」など日本語で話しかけてくるトルコ人がいる。バスターミナルを出て、地下鉄乗り場の入り口は道路を渡って目の前にも関わらず、誰が信用できるかわらかない状況の中ではとても遠くに感じた。数人に聞いて同じ答えをきいてからやっと地下鉄に向かって動き出した。
地下鉄はとても近代的で快適だった。改札手前の窓口でジェトンと呼ばれるコインを購入し、改札口のコイン口に入れるとバーが回る。
荷物が大きい私たちは車椅子用の入り口を開けてもらい、ここも難なく通過できた。
問題は、この先。
イスタンブールの国際バスターミナル(オトガル)から宿のある旧市街のスルタンアハメット付近に行くには、アクセスが悪い。
地下鉄のアクサライ駅で降りて、ちょっと歩いてトラムのユスフパシャ駅から乗らなければいけない。この「ちょっと歩いて」が大きな荷物の私たちにとっては問題だった。
第一関門は、地下鉄から地上に上がって歩き始めてすぐ。イスタンブールでは大きな道路を人間が横切る場合、横断歩道のかわりに人間が地下道にもぐるシステムをよく目にする。車も人間もやたらに信号を無視するのでこうなっているんだ、と私は確信するし、ここの国民性を考えると一番問題が少ない解決方法だろう。しかし。
通常は大きな荷物は一つを置いて、もう一つを二人で途中まで運び、残りの荷物をまた二人で運ぶ。という方法で階段などを上り下りしている。しかし、夕方のイスタンブールはとても人通りが多く、まだどんな国かという感触もつかめないので、周りにあやしい人がわんさかいるような恐怖心に捕らえられた。
そこでいつもとは違って、一人で自分の荷物を運ぼうってことになった。
地下道へ降り、また地上へ。ここから商店街をガラガラとスーツケースを引きずって歩き、大通りに出た所でトラムの乗り場を人に聞いた。ここでその男性が指差した先を見て、二人はじわーっと心が暗くなっていった。
そう、トラムは道路の真ん中を走る路面電車。ここの駅の場合は、道路脇の歩道から歩道橋を渡ってしかトラムのホームに行けないようになっていたのだ。
あたりはますます暗く、雨もやまず、人通りは多い。ああああああ。運ぶしかない。運ぶしかない。二人とも無言で決意し、無言で実行。
宿に到着した時は本当にヘトヘトになった。翌日から夫は腰、私は膝がおかしく、思いもかけず2週間のリハビリ滞在となってしまったのだった。
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