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ケニア:ナイロビ(Nairobi)→モーリシャス:マエブール(Mahebourg)
2007.03.02 |
ケニア→モーリシャス |
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移動内容 |
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11:35-12:08 |
宿からナイロビのジョモ・ケニヤッタJomo Kenyatta国際空港までタクシーで移動。
タクシー運賃 KSH1200(=US$17.07) by 現金 |
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15:50-21:04 |
ケニアのナイロビからモーリシャスの国際空港まで飛行機(Air Mauritius)で移動。
飛行機運賃 US$684/人 by 現金
※ナイロビとモーリシャス間の往復3ヶ月オープン税込み |
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21:20-22:00 |
空港のマエブールの宿までタクシーで移動。
タクシー運賃 Rs400(=US$12.08) by 現金
※一軒の宿にも寄って部屋を見せてもらってから、別の宿に行ってそこで決定した場合のタクシー料金。 |
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※2007.02.26現在、US$1= KSH70.3 = Rs33.1で計算。KSHはケニア・シリング、Rsはモーリシャス・ルピー。 |
いよいよケニアを出る。航空券の手配についてはSketch(ナイロビからモーリシャス・マダガスカルへの航空券手配 )を参照していただきたい。
飛行機の出発時間は午後3時50分、ナイロビから空港まではタクシーで30分なので、2時間半前に到着するなら午後12時50分に出ればよかった。でもまぁ、ナイロビでするべきことも終了してしまったし、空港で何か面白いことがあるかもしれないし、エジプトみたいに無料でインターネットができるかもしれないし。。。とか色々と考えて、11時35分にはうずうずして、もう行きましょうということになった。
エジプトを見慣れた目にはナイロビはとても近代的な町に見えた。ガラスの入ったピカピカのビルがあり、女性も男性もお洒落な格好をしている人がいた。
ナイロビの悪い噂をたくさん聞いてきた割には何事もなく本当にホッとしてナイロビを出ようとしている。まぁ、荷物を持った移動には必ずタクシーを使い、夜や早朝は絶対に外に出ない、用事がない限りダウンタウンには足を踏み入れないということを守ったということもあるが。
タクシーはすべるよう走る。ナイロビ市内から空港までの道には舗装道路に穴が開いているなんてことはなかった。快適。
出発便は航空会社によって場所が異なっている。モーリシャス航空の入り口で降ろしてもらうように運転手に伝えて、近くの駐車場で車を降りた。
チェックインの手続きは荷物の重量オーバーだけが問題だが、重い荷物は全てリュックと手提げ袋に移しているので、スーツケースは夫が20kgぴったり、私が17kgくらいだったかな。航空券には30kgまで大丈夫なような事が記載されていたので、全く問題なく通過。出国手続きも問題なく終了。
空港は細い通路にショップが並んでいる通り沿いにゲートがある。ゲートのそばに椅子はなく、ショップが始まる手前にいくつか椅子が並んでいるので、誰もがここに座って待つことになる。
期待していたようなインターネット無料ワイヤレスコーナーもなく、素敵なカフェもなく、しょぼいカフェは何もかも高かった。
案外つまらん。でもまぁ、モーリシャスの島内研究があまり進んでいなかったので、ガイドブックを取り出して仔細に読む時間になった。
右隣に座っている男性はちょっと日本人に見えた。話してみると、韓国系アメリカ人で物理の先生をしていたのだが、ちょっと休職して長期の世界旅行をしているんだそうだ。モーリシャスは思いつきで行くことになったので、何もわからないので、空港に到着したらとりあえず私たちと一緒にタクシーに乗って最初の街まで行きたいのだが、という話になった。いいよ、いいよ。
ゲートが開いて待合室に入ると、モーリシャス行きは観光客っぽい人ばかりでもない。観光客はヨーロッパから直接モーリシャスに行くだろうから、ナイロビから飛ぶ観光客は少ないのだろう。
午後3時半前には機内に入っていた。座席の前ポケットの機内誌にはモーリシャス航空の路線図が掲載されていたが、圧倒的にフランスからの線が多い。ポルトガル、オランダ、フランス、イギリスと歴史の中で様々なヨーロッパ諸国の植民地になってきたモーリシャスだが、最終的にはフランスからの観光客によって大きな経済収入を得ているのが現状だ。この後乗ったタクシーの運転手が、国家収入の半分を観光業から得ているという話も聞いた。
モーリシャスに到着してから出会ったヨーロピアンカップルはスイスのジュネーブからパリ経由でエアーフランスで飛んできたのだそうだが、ジュネーブからパリ経由で飛ぼうとパリから飛ぼうとチケットは往復で1000ユーロだそうだ。高い。昨年の9月に買ったウィーンと日本の往復チケットが890ユーロだったからモーリシャスは距離の割には高い。「何でかねぇ?」と言うと、フランス人でMBAも持っているというカップルの女性の方が、モーリシャスは国策としてヨーロッパからの航空運賃を高く保つようにして、高級なイメージを作り出し、質の悪い観光客が来ないようにしている政策を取っているからだと言っていた。
観光立国としてやっていこうとする目的で、国自体をブランド化しているということだ。賢いなぁ。
他にもイタリアから来た旅行者にも航空チケットの代金を聞いてみたが、この人たちはパッケージツアーで来ているということで詳細はわからなかった。しかし、イタリアの小さな航空会社がチャーター便を飛ばしていて、それだと700ユーロという場合もあるらしい。これはなかなかいい情報だった。
今回私たちは、ナイロビとモーリシャスの往復チケット(3ヶ月オープン)でUS$684だからユーロにすると約510ユーロ。これも安くはなかった。
どこからならモーリシャスに安く行けるのか、これは今でも課題である。
さて、飛行機は午後3時50分、定刻通りに離陸した。ナイロビからモーリシャスへ向かう便で1つの期待は、機内からキリマンジャロが見えるのではないかということ。ケニアの南部にあるタンザニアにあるキリマンジャロは言わずもがアフリカ最高峰の山で、標高6000mくらいある。飛行機がどんな経路で飛ぶのかわからないが、とりあえず座席を右側にしてもらった。
肉眼だと一番近づいてこんな感じに見える。写真よりは目で見る
方が良く見えるが。 |
上記の地点から望遠で撮影すると、こんな感じ。 |
離陸して10分後の午後4時。はるか彼方の雲海の中に、明らかに雲とは異なる黒い物が見えている。
おお、もしかしてあれがキリマンジャロではないだろうか?
そこから午後4時7分に向けて、黒い物はだんだんと大きくなり、肉眼で一部に雪をかぶったキリマンジャロの頂上部分だとわかった。周りは雲に囲まれてほんの先っぽしか見えないけど、二人で「おお、キリマンジャロだ、いやぁ見ちゃったねぇキリマンジャロ」と大興奮だった。周りは誰も騒いでいないんだけどね。
ナイロビで滞在していた旅行代理店のドミトリーにはキリマンジャロツアーから帰ってきた人も何人かいたし、エジプトでもキリマンジャロに登ってきた日本人旅行者に出会った。今日、あらためて、飛行機と同じような高さまで登りきったあの人たちに尊敬の念が沸く。あんな所まで足で登るなんて、実感として驚きを禁じえなかった。
キリマンジャロ見物の興奮冷めやらぬ午後4時10分、メニューが配られてお食事の時間となった(詳しくは「本日の献立2007年3月2日夜」の写真をクリックしてご覧ください)。食事の後は、映画の時間となったが、ハリウッド映画の「イリュージョニスト」。変わっているけど洒落た映画で「ショーシャンクの空」という映画を思い出させる。
余談だが「ショーシャンクの空」という映画のタイトルはお笑いコンビのナインティナインの岡村さんから知った。彼がテレビなどで育ちのいいお嬢さんの真似をする時に、口を押さえながら「好きな映画は”ショーシャンクの空”です。」というネタをやっていたのを何回も見て、一体どんな映画だろうかとレンタルして見たのだった。あれも変わっていたが、岡村さんがお嬢さんが好きそうな映画というだけあって、洒落ていた。
最近は単に移動の手段としてか思えなくなっていた飛行機だが、久しぶりに初めて海外旅行を行った時の興奮が蘇る演出だった。楽しい南国への旅が機内から始まっている。
午後6時15分、日没。それから1時間後のナイロビ時間午後7時にモーリシャス到着。
モーリシャス時間では午後8時だ。飛行機から出ると、南国のムッとする暖かさが体にまとわりついて、嬉しさがこみ上げてくる。地面は雨が降ったのか濡れているのがちょっと気になった。
入国管理では帰りの航空券を見せてくれと言われる。ビザは無料で発給してくれるが、ビザの期間はモーリシャスを出る航空券を見て決めているようだった。「モーリシャスはいい所だから、予定を変更してもっといたくなったらここで延長手続きをしてください」と入国管理局の住所を教えてくれるくらいだから、帰りの航空券を持っている観光客の滞在はウェルカムだという感じだ。しかし、もし片道航空券しか持っていないとどいういう対応になるかはわからない。
バゲッジクレームでスーツケースを受け取った。今回は問題なし。
通路を歩いて行くと、レンタカーやホテルがカウンターを並べている中にモーリシャス観光局のブースもあった。時間が遅いのでもう誰もいないのだが、勝手にカウンターの中に手を伸ばして、5種類もある丁寧なパンフレットを全て頂くことができた。
搭乗前に知り合った韓国系アメリカ人は、私たちと一緒に行くのはやめて、観光客が多く集まる北部のグランベにあるホテルを空港で予約し、ホテルのバスでグランベに直接向かうようだった。モーリシャスでは腹をくくって金を使うことにしたようだ。
私もそれがいいと思う。私たちが行こうとしているのは、空港から近いマエブールという街で、そこで周辺の見所を見てから北部に移動する予定だった。アメリカ人の彼の滞在期間は6日。6日間しかないのなら、マエブールで時間を使うよりもさっさとグランベ周辺に行った方がいいのではないかと私も事前に彼に伝えていた。私の忠告とホテルの送迎の話で心は決まったようだ。ここでお別れだ。
私たちはタクシーをつかまえようと空港の建物の外にでた。先ほどのムッとする湿度の高い空気とともに花の香り。ああ、南国だ。久しぶりの南国の空気だ。
タクシー乗り場に向かうと、かしましいタクシー客引きみたいなのが寄ってきた。マエブールに行きたいというとRs500(=US$7.11)だという。Rs300くらいだと予想していたので随分と高い。さきほど空港内の係員に聞いたが、チケット製のタクシーはなくて外で拾ってくれということだから、ここに頼むしかないのだが、それにしてもガラも悪いしぼったくりっぽくて嫌だなぁ。タクシー運転手と話をしているのではなく、バインダーを持っている男で運転手とは直接話をさせない。この男と交渉するしかなかった。結局、マエブールの宿を2軒見てまわるということを条件にRs400で話をつけた。
私たちは以前にマエブールを訪れたことのある日本人の旅行記を読んでいて、彼らが宿泊した宿を目指したかったのだが、バインダー男がそれよりももっといい宿があると強力に言ってくるので、とにかく私たちの行こうとした宿に最初に行ってから、気に入らなかったら勧める宿に行くという話にした。
運転手は英語があまり話せない上に、バインダー男の話を理解しておらず違う宿の前で車を停めようとした。違う、違うと地図を見せて「ナイス・プレイス・ゲストハウスに行ってくれ」というと、ようやく本気で地図を見て不承不承向かってくれた。インド人の老夫婦がやっているナイス・プレイスの呼び鈴を押すと、午後9時過ぎだったが眠っていたようで目をこすりながらインド人のおばあちゃんが出てきた。部屋を見せてもらうと、1階にキッチンがあり2階に客室と共同シャワー・トイレがある宿だった。設備はとても古い感じだし、何よりもどの部屋も空いていてお客がいないのが不気味だった。値段を聞くと一泊Rs600(=US$8.53)。あっちゃー。バインダー男の勧める宿は一泊Rs700とか言っていたなぁ。400円くらいの差だったら、もう一つの方がましかもしれない。
インド人のおばあちゃんに「悪いけどもう一軒見てくるわ」というと、こんな夜中にたたきおこされた上になんじゃいそれは、と如実に嫌な顔をされてしまった。
運転手に「オリエント・ペンション」に行ってもらると、新しい内装で若いフロントがパキパキと部屋を案内してくれた。今は満室に近い状態だという。一泊の値段は何とRs600。先ほどと同じだ。キッチンがないものの、私は断然こっちが気に入った。あのおばあちゃんの様子だとキッチンがあっても使えないとか、使う時間を制限されるとか、家族と共有だとか、色々と面倒なことになりそうな予感がしたのだ。夫は最初キッチンがある方に魅力を感じていたようだが、宿の対応、内装の気持ちよさの違いなどを考えてオリエント・ペンションに決定。
タクシー運転手に料金を払って、今日の仕事は終わりということにしようと思った。ところが、1軒目で長く待たされ、2軒目でも待たされた運転手はRs500支払えと言う。「いやいや、2軒の宿を見ることは最初の条件に入っていたのだから値段は変更なしだ」というのを、宿のフロントのお兄ちゃんに通訳してもらって伝えたのだが、待ち時間が長すぎるといって引き下がらない。とうとう夫が運転手にRs400を握らせて背中を押し出してホテルの扉を閉めた。
ガラス扉の向こうで運転手は悔しそうに呪いの言葉を吐いていたが、そのうちに去っていった。観光地にはありがちな事なのだが、難癖をつけてすぐに値段を吊り上げようとする運転手などがいる。陽気で開放的な気分で来ている観光客は「いいよ、いいよ」と気前良く支払ってしまう場合も少なからずあるのだろう。こんなに強烈に拒否されたことはなかったのかもしれない。
このやり取りを見て、フロントの若いインド人は「いや、きっぱりと否定してよかった。強く否定しないとああいう奴が増えて困るからね」と評価してくれたのがせめての救いだった。それにしても、雨が降り始めている。私たちのモーリシャス生活はハリケーン明けの不安定な天気から始まったのだった。
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