夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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アンドリンギチャ国立公園近くのキャンプ・カタ(Camp Catta)→
アンバラヴァウ(Ambalavao)
2007.05.03
マダガスカル国内移動

移動内容
08:00-09:10 Camp CattaからタンバウTananbaoまでCamp Cattaの4WDで移動。
4WD運賃 Ar40500(=US$21.15)/人 by 現金
※一人の料金というのが恐ろしい。
09:10-13:23 タナンバウにて予約したKOFIFIとう会社のタクシー・ブルースを待つも来ない。
13:23-14:05 タナンバウからアンバラヴァウまで親切なドライバーに助けてもらって移動。
14:10-14:30 親切なドライバーにKOFIFIに連絡してもらったりしつつ、ホテルにも送ってもらった。
ドライバーにお礼 Ar2000(=US$1.04) by 現金
※2007.04.30現在、US$1= Ar1915で計算。Arはマダガスカル・アリアリ。。

 今日、予定では、朝8時にCamp Cattaの送迎サービスでタナンバウまで行き、そこで事前にフィアナランツァで予約していたKOFIFIというタクシー・ブルース会社の車に乗ってラヌヒラというイサル国立公園の拠点になる村まで行くはずだった。しかし、待てど暮らせどKOFIFIが来ない。おかしすぎるとアンバラヴァウまで戻り、そこで1泊する羽目になった。

 朝8時、予定通りにCamp Cattaを出てタナンバウに向かった。

 今日はちょっと曇っていて昨日のように「背景の岩に朝日があたって素敵!」というわけにはいかなかったが、それでも短い滞在にもかかわらず丁重に見送ってくれるスタッフに気分を良くして出発。

 Camp Cattaの背景の岩が遠のくにつれて、青空が広がってきた。道は相変わらずアップダウンの激しいがたがたの道。

 来るときと同じ運転手さんだったが、のめりこむように30度くらいの傾斜で5mほど降りて、すぐにまた上るような所でも、慎重に車を傷めずにやり直すことなく進んでいける。この人の運転技術はかなり高いと思う。

 来る時にはタクシー・ブルースで到着したヴォヒツァオカも今日は通り過ぎて、その先のタナンバウまで行く。ヴォヒツァオカは旅行者に対して通行税をかけている。入るときに一度支払えば出る時には支払った領収書を見せればいいことになっていると聞いていたが、この運転手さんだと口頭だけで、領収書も見せることなく通過できた。

 やがてタナンバウの目印ともいえる頂上に岩の突き出た山が見えてきて、それを背景に川の風景があり、刈り取り前の水田の風景があり、全く景色はすばらしく移り変わっていくのだった。

 こうして1時間ほどでタナンバウに到着。ここまでの距離は20kmなので平均時速20kmだったということになる。運転手さんにお別れして、この場所でタクシー・ブルースKOFIFIを待つことになった。


 フィアナランツァでKOFIFIのリヴォRivoという男性と契約を交わして、前金として半額を支払った時に、タナンバウを通過するのは朝の10時から11時になるという話だった。

 ちょっと早かったなぁ。と思いながらも、KOFIFI待ち開始。

 すぐにラヌヒラに向かうタクシー・ブルースが2台通りかかった。どちらも手をあげて止めてKOFIFIかと確認すると違うという。彼らの車には残席があり、前金さえ支払っていなければ乗れたのにと残念に思った。

 午前10時。さぁ、これから本格的にkOFIFI待ちの時間だ。反対方向からアンバラヴァウに向かう車も走ってきて、両方向の交通は30分に2本くらいと活発になってきた。

 引き続きラヌヒラ方面に向かうタクシー・ブルースが通る度に、車を停めてはKOFIFIでないことを確認した。

 私の隣には地元のマダガスカル人の女性が座ってやはり車を待っている。両方向に向けて何台も車が通るにもかかわらず、彼女は一つも停めて乗ろうとはしない。一体、何時の何行きにのるつもりなのか。言葉も全く通じないのでわかりようもなかった。

 午前11時。ついに約束の時間を過ぎてしまったが、そこはまぁマダガスカルのことがからと鷹揚に構えて待ち続けた。隣の女性も、だんだん私たちの事情を察したらしく、増えてきたローカルの他の女性たちに私たちの事情を話しているようだ。彼女たちは視力がいいらしく、私たちが全然判別できない遠くの車を「あ、タクシー・ブルースが来たわよ」と教えてくれるようになった。

 正午、腹が減った。タナンバウからラヌヒラまでは3時間くらいで行くと思っていたのでお昼ご飯は用意していない。手持ちのお菓子で空腹を紛らせていると、12時半に学校帰りの子供たちが通りかかってきた。

 みんな珍しい生き物を見るように、おもむろに足を停めてじーーーーっとこちらを見ている。そうだろう。普通の旅行者ならもっと要領よくここを通過しているので、ここに留まっている外国人なんていないもんねぇ。

 小学生の中に、来るときにも言葉を交わしていた少年がいた。「おお、又会ったねぇ」と声をかけるととても嬉しそうに大きく手を振ってくれた。

 と、それは嬉しいんだがおかしい。タクシー・ブルースが時間があってないような乗り物だとしても遅すぎる。もう5台はタクシー・ブルースを停めているのにKOFIFIが1台もないのはおかしい。満席になっている車は停まることなく、ドライバーが「満席、満席」と手を振りながら通り過ぎてしまった。KOFIFIが前金だけ受け取って、他の人で席を埋めて私たちを拾うことなく行ってしまったのではないかという疑惑で頭がいっぱいになってきた。

 そしてタクシー・ブルースも通らなくなってしまった午後1時23分。私たちが向かうのとは反対方向に向けて走る1台の車がふーっと来て停まった。

 ドライバーは英語が話せる。

 事情を話すとそれはおかしい。とにかくアンバラヴァウまで行くのなら乗せていってあげようという事なった。

 この運転手さんはアランALAINさんという名前だった。首都のアンタナナリヴから国道7号線の終点であるトゥリアーラまでイタリア人のお客さんを送り届けた帰りなのだそうだ。帰りの運賃ももらっているようで、乗車賃は気にするなとまで言ってくれた。

 アンバラヴァウに至るまでの間に、もしKOFIFIとすれ違ったら停めてくれるようにお願いしたのだが、相手は荒くれのタクシー・ブルースだ。数台とすれ違ったのだが、停まってくれたのは1台だけで後は無視して通り過ぎていってしまった。もう、こうなったらアンバラヴァウに1泊するしかないという可能性が濃厚になってきたのだった。

 そう腹をくくると、急に周囲の風景が目に入ってきた。タナンバウからアンバラヴァウまでは大きな岩山が突如として現れたりする素晴らしい景色で、長い国道7号線の中でも一際風光明媚な場所なのだった。

 道がいい。アスファルトのきれいな道がたーっと続く向こうにはニョキニョキとした岩山が見え、大きな青い空に白い雲が浮かぶ。

 これからの計画変更や、KOFIFIに連絡しなきゃならないこと、その末、どうなるのかと色々とややこしい問題はあるのだが、目に飛び込んでくる景色があまりに素晴らしく、そうした怒りや憤りも忘れる程だった。

 タナンバウからアンバラヴァウに向かって右手にある大きな岩山の前にはANJAという名前の看板が出ており、アランさんの話ではプライベートパークだということだった。アンバラヴァウからここに来てトレッキングするのも人気なのだそうだ。

 やがて、私たちが昨日歩き回ったアンドリンギチャ国立公園を後ろ側からながめて、車はどんどんアンバラヴァウに向かった。

 アランさんに拾ってもらって約40分でアンバラヴァウのタクシー・ブルース・ステーションに到着。

 アランさんが周囲の人々にKOFIFIのトゥリアーラ方面のタクシー・ブルースは大抵何時頃にここを通過するのかと聞いてまわると、皆あまり把握していないようで、かんばしい答えは得られなかった。

 私はリヴォと契約した時に彼の携帯電話の番号を書いてもらっていたので、アランさんがこの場でリヴォに電話してくれることになった。時刻は午後2時過ぎ、電話をかけるとリヴォにつながった。全てをキャンセルしたいので、今まで支払った前金全てを持ってアンバラヴァウ(フィアナランツァから車で2時間)まで来てくれるようにアランに伝えてもらったのだが、話が前に進まないようだ。

 そこで直接私がリヴォと話をすると、今まだフィアナランツァに車はあり、午後4時にはアンバラヴァウに到着するとか言っている。なにぉぉ?あげくの果てに向こうから勝手に電話を切り、更には携帯の電源も切ってきた。

 怒り心頭!

 周囲の男たちは、私が手にしているリヴォの手書きの契約書を見て、こんな手書きの契約書なんか書く奴は嘘つきに決まっている。最初からだます気だったんだよと、口々に言った。中には御丁寧にも自分の会社のロゴの入った契約書の白紙を見せて「契約書ってのは、こういう風に会社の名前が入ってるんだよなぁ」と説明してくる者までいた。あーあー、そうですよ、私が馬鹿でしたよ。

 さーて、どうしてくれようか。

 しかし、これ以上アランさんに迷惑もかけられないので、町で一番有名なホテル・オー・ブガンビレというホテルに連れて行ってもらって、とにかくそこで1夜を明かすことにしたのだった。

 アランさんとリヴォと同じ国民とは思えない程、人間性に落差がある。まぁ、こんなことはマダガスカルに限ったことではないが。

 アランさんという本当に親切な人に救われなければ、マダガスカルの印象が地に落ちる所だった。


(この後の顛末については、Sketch「タクシー・ブルース KOFIFIとの対決1日目」にて詳細。)


 
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