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ダル・エス・サラーム(Dar es Salaam)→ムベヤ(Mbeya)
2007.06.19-20 |
タンザニア国内移動 |
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移動内容 |
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6/19
13:00-13:30 |
ダル・エス・サラームの宿からタザラ鉄道駅までタクシーで移動
タクシー運賃 Ts6000(=US$4.72)/人 by 現金 |
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15:05-15:50 |
列車に乗車し、出発待ち |
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15:50-
6/20
13:03 |
ダル・エス・サラームからムベヤまでタザラ鉄道の急行(一等)で移動
一等コンパートメント運賃 Ts98000(=US$77.10)/室 by 現金
※一人分の運賃はTs24500だが、男女一緒のコンパートメントにするためには一部屋の定員4人分を買い占めないといけない規則なので、4人分を支払って2人で使用した。 |
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13:15-13:40 |
ムベヤの鉄道駅からムベヤのバスターミナル付近までタクシーで移動し、宿を3軒あたって1つにチェックイン
タクシー運賃 Ts4000(=US$3.15)/室 by 現金 |
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※2007.06.18現在、US$1= Ts1271で計算。Tsはタンザニア・シリング。 |
タザラ鉄道はダル・エス・サラームとザンビアのカプリ・ムポシをつないでいる国際列車である。私たちはこれを使って途中のムベヤ(タンザニア)まで行こうとしていた。
ハイシーズンの6月から8月までの間は1週間くらい前にチケットを買っておいた方がいいとガイドブックに書かれていたので、ザンジバル島に行く前にチケットは購入しておいた(チケットの種別と値段についてはSketch「パスポート申請とタザラ鉄道とザンジバルフェリーの検討」を参照)。
出発当日の朝、宿の外にいたタクシー運転手と話をして、午後1時にタザラ鉄道駅に連れて行ってくれるように約束した。タザラ鉄道駅は最初にダル・エス・サラームに到着したウブンゴ・バスターミナル(市街地から5kmほどか)よりは直線距離で1kmほど市内に近い。ウブンゴ・バスターミナルからTs7000で来た私たちは、Ts5600だったらいいんじゃないかと思ってタクシー運転手と交渉した。
最初の言い値はTs7000。ウブンゴではTs10000から始まっていたので、やはりこちらの方が安い。Ts5000というとTs6000に下げてきた。ということでTs6000。これなら荷物が多くても文句は言われないだろうという妥当ラインで決着した。
午後1時ちょっと過ぎ、約束したタクシーの運転手がやってきた。中古だというトヨタ・カローラだが新車に等しいほど美しい。名刺もくれて、以前はベンツに乗っていたそうで、ベンツの車が印刷された名刺だった。燃費を考えてトヨタに変えたそうだ。やっぱりね。
先日、チケットを購入する時にダラダラ(トヨタハイエースを使ったミニバス)で行ったら1時間もかかった道は、今日はわずかに渋滞していたのみで、あっけなく鉄道駅に到着してしまった。
鉄道駅の2階が出発ロビー。2階に上がるスロープの手前で車両は入場料を支払わされる。これがTs1000するからタクシー運賃をTs6000にしてくれと言われたのだが、支払っているのはTs300くらいだったように見えた。ま、いいけどね。
入り口のガラス戸は1箇所しか開放されていなくて、駅員に切符を見せないと中の建物に入れないようになっていた。つまり、ここが改札のようになっているのである。
多くの荷物を持った人が大勢つめかけて、誰も列を作っていないので、押すな押すなの大混雑になっていた。うかうかしていると、すぐに割り込んでこようとする人をスーツケースでブロックしながら、何とか待合室のある建物の中に入ることができた。
建物の一番奥には「1st Class」と書かれた一等車乗客用の待合室があったので、その中で待つことにした。
外よりはクッションが厚めのソファーがあるが、別に贅沢な作りではない。トイレもあるが臭いし、バーカウンターもあるが人はいないし、電源があるのでいい気になってコンピュータを広げていたら電気がきていなくてバッテリー切れになりそうになるし・・・。
ファースト・クラスらしい唯一の点といえば、椅子が異常に後ろに傾いていること。普通に座っただけで天井を見つめるかというくらいに傾いている。偉そうだ、ファースト・クラスらしいではないか。しかし、座って作業をするのはやりづらかった。
コンピュータで作業をしている間、隣に黒人の女性とそのバカ息子みたいなのが座っていた。バカ息子は、私の右隣にある電気のきていない電源で、同じくバカな私と同じように電気が来ているものと信じて携帯電話のチャージをしていたのだが、私が作業している間中、こちらを不満げに見ながら、隣の母親らしき女性に「あのチナがどーの、こーの」と何か言っている。第一に私は中国人ではないし、中国人だとしてもあんたに何か言われるような嫌なことは何一つしていない。なんだよー、一体。ファースト・クラスだから偉そうなのだろうか?しまいには、私に向かって「ふんっ」と言いながら顎をしゃくりあげた。その携帯をはずして俺に渡せと言っているらしい。ったく、どこまで偉そうな奴だ。
そんな微妙でどーでもいい戦いというか冷戦もありながら、待合室での時は過ぎていった。
この待合室は、設備云々というよりは、他の人から隔絶した場所にいられるということが贅沢なんだろうと、外の状況を見て思った。午後2時を過ぎると外は大混雑で人がぞろぞろと行き来しているので、荷物など気が抜けない感じだった。
いつになったら乗車なのかよくわからないまま待っていたのだが、列車は1本しかないので、他の乗客がザザッと立ち上がった午後3時が乗車開始の合図になった。
2等の客は自由席なのだろう、少しでもいい席を確保したいと、みな足早にプラットフォームを歩いている。おおお、民族大移動だ。
チケット4枚を並べて撮影。表側には行き先、日付、車両等級、価格。 |
裏側には手書きでコンパートメントの車両と部屋番号とベッド番号。 |
一等車両の各入り口に係員が立っているので、私たちの車両とコンパートメントを聞くと、先日買ったチケットに手書きで書かれているアルファベットと数字を見て教えてくれた。
所定の車両に到着して、プラットフォームから階段を2段ほど上がって車内に入った。
車両ごとに荷物を置くようなスペースはなく、荷物は自分のコンパートメントに入れなければならないようだった。
コンパートメントが並ぶ狭い廊下はスーツケースを横にしないと動けないのでひきずりながら自分のコンパートメントに到着。さぁ、一等車ってどんなお部屋かしら?
扉を開けると、そこには左右に簡易な2段ベッドが並んで、奥の窓際にテーブルがあるだけ。洗面台くらいはあるのかなぁと思っていたので、ちょっと簡易ぶりにがっかり。
それでも二等になると、ベッドが左右に3段になるし、その下のエコノミーになると座席しかない。ゆったりと眠れる環境があるだけ、大分贅沢だ。
部屋の中に入って振り返ると、廊下の天井部分が物入れになっている。60リットル入りのバックパックが2つは入りそうな感じの広さだった。
私たちは1階のベッドを荷物置き場にして、2階で眠ることにした。
枕元や部屋の天井には照明があり、テーブルの付け根の壁には電気コンセントがあった。アテンダントの女性に聞いてみると、照明は日が落ちてから日の出まで使えるようになり、電気コンセントはずっと使えないということだった。この車内でサイト更新作業ができればと期待していたのだが、それは残念ながら無理なようだった。
午後3時50分に出発した列車は、快調なスピードで走り始めた。4時半を過ぎる頃になると、アテンダントの女性がミネラルウォーター500mlのペットボトルと石鹸とトイレットペーパーを支給してくれた。これも4人分。
一等車は各車両ごとに水しか出ないがシャワールームがあるのだ。
今日の私たちの楽しみは午後6時頃に通過するというセルー動物保護区Selous
Game Reserveで、もしかしたら野生動物が見られるのではないかという事だった。
午後5時過ぎに、今日の野良仕事を終えて線路伝いに家路につく人を追い越し、停車する駅で「お菓子でも、ペットボトルでも何でもいいから投げてくれー」という子供たちを見物し、だんだんと暮れ行く風景の中に何か見えはしないだろうかと期待を高めながら車窓を見つめ続けた。
午後6時、曇った空の中に太陽が沈んでしまう頃になると、辺りはすっかりと森林に包まれて、いつ動物がでてきてもおかしくはない雰囲気。
おお、見えるのか?見えるのか?
しかし、何かがおかしい。曇っていると思っていたのだが、曇っているのではなく辺りが一面に煙っているのだった。そして焦げ臭くもある。野焼きだ。野焼きをしているのだ。
やがて、列車の真横でも火の手が上がっているのが見え、日の落ちた先では夕日を背景にモクモクと煙があがっているのが見たとれた。
あーあ、こりぁダメだ。こんなにそこら中で野焼きをしていたら、野生動物が出てくるわけがない。野生の動物は火を怖がるだろうから、煙のない遠いどこかに去ってしまっているに違いない。丁度、野焼きの季節に当たってしまったのが不運なのか、残念ながら野生動物を見ることは叶わなかった。列車のアテンダントの男性の事前の情報ではキリンや象が見られるということだったので、最近はもう見られなくなったというわけではなく、やはり時期的な問題だと思われる。
日が落ちると、コンパートメントにはレストランスタッフが夕飯の注文を取りにまわってきた。一品Ts2500(=US$1.97)で魚かチキンをメインにサラダとご飯かウガリ(とうもろこしの粉を水で熱しながら練り上げたもの)が付く。ここで注文すると部屋まで運んできてくれるのだが、少しでも早く食べたい人は食堂車に座ってオーダーすべきだろう。ルームサービスは、運ばれてくるまでにとても時間がかかった。あまりに注文した料理がこないので、食堂車に言ってみると満席御礼。慣れた人はここでさっさと食べて立ち去ってみるみたい。特に私たちはフライドポテトを注文したので遅かった。ご飯とウガリの人が先。フライドポテト組は最後に作られていたのだった。やれやれ。
午後8時半に夕食が終わってからシャワーを浴びた。水だけれど寒くないので問題ない。列車のシャワーにしては水圧も水量もあるし、水はけもいいし、とっても満足。快適だった。
電源も使えないし、他にやることもない。一番後部車両にはバーの付いたサロンがあり、ナイトライフを楽しみたい人はそこでお酒を飲んで長い夜を楽しむこともできるようになっている。
しかし、ダル・エスの日本大使館の田中さんから聞いた話で、この路線ではなくてタンザニア国内の長期列車旅行で3日間一緒にいて、すっかり気心がしれたタンザニア人と、ダル・エスに到着してから一緒に部屋でお酒を飲んでいたら、お酒に睡眠薬を混入されて何もかも盗まれたという被害届が出ていることを聞いたばかりの私たちは、くわばら、くわばらとサロンカーには行かずにベッドに潜り込むことにした。
部屋の扉には鍵がかかるようになっているし、もう一つ、扉にくっついていて垂直に倒せるバーを倒しておけば、物理的に扉を壊さない限り誰も入って来られない構造になっていた。だから、歯を磨いたりトイレに行ったりと全ての用事を済ませて、鍵をかけてバーを倒したら朝まで荷物を盗まれる事を心配せずに、ぐっすりと眠ることができた。これも2人でコンパートメントを占領しているからこその安眠。
エジプトのカイロで出会った日本人旅行者の中には、タザラ鉄道でダル・エスに向かう列車の中で夜中に盗難に会ってしまったという人もいた。盗まれた彼女のコンパートメントは、もう一人仲間の日本人と西洋人の旅行者二人という組み合わせだったそうだ。ところが、彼女以外の誰かがトイレに行ったのか、部屋を出て戻った際に部屋の鍵をかけ忘れてしまった。そんな状態で一夜を過ごして、朝起きてみると、彼女の枕元に置いてあった貴重品の入ったショルダーバッグがそっくり盗まれていたというのだった。
見知らぬ人と一緒にいると安全確認が難しい。コンパートメント買占めは安全確保だと思えば高くないと思われる。
また、ベッドのセッティングは入り口側が頭になるようにしてあるが、私たちは窓側を頭にして寝るようにした。万が一に備えて、貴重品が入り口から少しでも遠いほうがいいのではないかと思ったからだ。
こうして、安全面では問題なく夜を過ごしていたのだが、鉄道はどんどんと標高を上げて走っていたようで、明け方近くにはとても寒くなってきた。私は毛布を2枚かけていたので大丈夫だったのだが、夫は眠さにかまけて1枚だけで寒い、寒いと耐えていたようで、とうとう耐え切れなくて2枚かけた時には体が冷え切って安眠することができなくなってしまったらしい。
途中駅で待っている人々の服装も、モコモコのダウンジャケットを着てまるで冬支度だ。ほんの数日前まで水着を着ていた日々だったのに、同じような緯度で移動しているのに、標高が違うのでまるで違う国に来たような感じになっている。タンザニアの気候はバラエティーに富んでいるなぁ。
停車したある駅では、隣に同じ列車が停まっていて、その前面には「東方紅」と漢字で書かれていた。
昨日見た線路の敷石には、一つ一つ「中華人民共和国製」と書かれていて、この鉄道が中国の技術指導の下に作られたという話を裏付けている。
それにしても、敷石の一つ一つに書いてあるのは、「援助したことを絶対に忘れさせないからねん!」という何か中国の執念のようなものさえ感じる。恐るべし、中国。
朝食もルームサービスを頼むことができるようだったが、昨日の遅さに懲りて、自分達で食堂車に行って食べることにした。
朝食から戻ってきた朝9時頃からは、車窓からバオバブが良く見られる景色になった。
といっても、マダガスカルのとは違う種類だ。
マダガスカルのバオバブは幹がスーッと長く上に伸びて、本当に上の方だけに枝がある。その為に上の方にある枝が根っこに見えてくるような感じが面白かったのだが、ここのバオバブは、そんなに幹が長いわけではなく、そんなに奇妙な樹木には見えなかった。まぁ、中にはとても幹が太いものがあって、それは驚きだったけれど。
バオバブの木々が見えるサバンナを抜けると、畑や村など人々の生活を見られる地域に入っていく。
この辺りには電気やガスが来ていないのだろう。女たちの朝一番の仕事は、今日一日の燃料集め、つまり薪拾いということになっているようだった。長さ2mはあるだろう枝を何本も集めてひとまとめにして、器用に頭の上に載せて運んでいる光景を、何回も目にした。それにしても、ダル・エス・サラームでは人々は携帯電話を片手に自家用車に乗っている人もいて、薪集めをしている女性たちの生活とは随分と開きがある。生活水準にとても大きな違いがあるというのも、アフリカでいつも感じることだった。
列車は左右に長く伸びて見える山脈の左側に向かっているようだった。
大きく蛇行しながら、緩やかに傾斜を上っていくので、「世界の車窓から」みたいな風景を何回も見ることができた。
今日は昨日とは違って、駅に停車するごとに子供たちが線路に立っていて、手を振りながら何かを叫ぶ。すると車内から空のペットボトルが投げられるという光景が続いている。
朝見た薪集めの光景から察するに、ここではペットボトルも貴重な文化資源として欲しいものなのだろう。
中には、石を投げようとするいたずらっ子も発見。こういうクソガキは世界共通だ。
12時を過ぎるころから、通り過ぎる村がだんだんと町の規模に変わっていく。
そして午後1時、今までとは違ってとても大きな町が見えてきた。これがムベヤだった。
到着の前にはアテンダントの女性が下車の準備をするように告げに来てくれた。
タザラ鉄道、一等車コンパートメント貸切の旅は、こうして無事に平穏に疲れることなく終了したのだった。
列車を降りると、敷地の向こうに柵で仕切られた改札口があり、そこで切符を回収されて外に出る。外にはタクシー運転手が待ち構えていて、希望している宿まで連れて行ってくれるというスムーズな運びだった。因みに市内までのダラダラも出ているようだった。距離が遠いので徒歩で行くのは無理だろう。
タクシー運転手で最初に話しかけてきた男性がTs4000だと言ってきた。これは決められた料金なので、誰に聞いても値段は変わらないというのだが、後から来た運転手に聞くとTs3500で行くという。それならば、と2番目に来たタクシーに乗り込むことにした。
ところが、1軒目の宿はすでに満室。隣の宿も満室。ようやく1軒目の裏手の宿に部屋を見つけることができた。1軒目の宿から車をまわしてもらった料金と、待ち時間ということで、結局Ts4000を支払うことになったのだった。
ところで、最初に話しかけてきたタクシーの運転手は、偶然にも1軒目のホテルに到着すると別の客を乗せてやってきていた。ちょっと気まずいなぁと思っていたのだが、彼は全然そんな素振りもみせずに、1軒目のホテルが満室だと聞くと、あっちはどうだ、こっちはどうだと教えてくれた。その後、ムベヤの町で偶然にすれ違った時にも、「わからないことがあったら聞いてくれ」ととても親切だった。
ダル・エス・サラームのような都会と違って、ムベヤの人は田舎で朴訥な親切さをかもし出している人が多いというのが印象だ。バス乗り場ではこの限りではないが、その他の場所では、この印象はムベヤにいる限り続いた。
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