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キゴマ(Kigoma)→ムワンザ(Mwanza)
2007.09.05 |
タンザニア国内移動 |
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移動内容 |
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04:30-04:33 |
宿からバスの発着所まで宿のタクシーで移動
タクシー運賃 Ts2000(=US$1.53) by 現金 |
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04:33-06:05 |
バス到着。荷物をバスの荷台に入れて荷物代金を支払い、バスの中に着席して待機。 |
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06:05-19:38 |
キゴマからムワンザ手前Busisiのフェリー乗り場に大型バスで移動。
バス運賃 Ts25000(=US$19.17)/人 by 現金
荷物運賃スーツケース2つ分 Ts10000(=US$7.67) by 現金 |
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19:38-21:34 |
フェリー待ち。その辺の食堂で夕食。 |
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21:34-22:16 |
Busisiからバスごとフェリーで対岸に移動。荷物はそのまま、人間は降りて徒歩でフェリーに乗る。
フェリー運賃 Ts300(=US$0.23)/人 by 現金 |
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22:16-23:25 |
再びバスに乗り込みムワンザのバスターミナルまで移動。 |
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23:25-23:36 |
バスターミナルから宿Lake Hotelまでタクシーで移動。
タクシー運賃 Ts1500(=US$1.15) by 現金 |
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※2007.09.03現在、US$1 = Ts1304で計算。Tsはタンザニア・シリングをあらわします。 |
タンザニア鉄道のお陰で(詳細はSketch「タンザニア鉄道の呆れる腐敗っぷり」参照)、キゴマからムワンザへの移動をバスで行うことを余儀なくされた(BとCの鉄道路線ではなく、Bでキゴマからムワンザに直行)。
町中の書店で聞いた話ではキゴマとムワンザの間を走るバス会社は2社で、Adventure
ConnectionとSaratoga Line。前者がお勧めだということで、キゴマの鉄道駅舎のある中心部から2km離れたムワンガ地区にある事務所(宿もその地区にあるので徒歩で行けた)を訪れた。Muwanga
Lodgeというホテルから45m、町とは反対の方向に離れた地点にあるというのは、ほぼ正確といえた。
バス運賃は、列車で行くよりもずっと安い。キゴマからムワンザに列車の一等車で行こうと思ったら途中のタボラまでTs22700なのでムワンザまでは約倍額としてTs45400(=US$34.82)だ。3等車ならばバスよりも安いかもしれないが、席を確保するのさえ難しく立って行く可能性もある上に、タボラで乗り換えなので時間がかかる。
飛行機は、もっと先のウガンダのカンパラまで行こうと値段を聞いたらキゴマ→ダル・エス・サラーム→ムワンザ→カンパラと乗り継いでUS$323。お話にならなかった。
ということで、バスは一番よさそうな交通手段に思えるのだが、バスを躊躇するのには理由があった。夫がよく参考にさせてもらっているタビフーフさんがムワンザからキゴマまでをバスで移動したのだが、途中でバスが故障して全員でヒッチハイクしたという記述があり、スーツケースで集団ヒッチハイクは厳しいだろうし、内戦状態のブルンジに近い場所ということもあり盗賊が出るかもしれないからだ。しかし、今の私たちにとっては一番ましな交通手段がバスになってしまったのである。
3日の月曜日にバスチケットを買いに行くと、バスは毎日出ているが明日4日分は既に売り切れ。5日分ならあるというので、出発が5日になった。バスはチケット販売をしている事務所前ではなく、別の場所から出る。出発する場所を教えてもらって、3日のうちに下見も済ませた。(事務所からは徒歩5分強。メインロードを町を背にして進んだ場合、事務所は道の右手、バスの発着所はもっと先の左手になる)。
事務所の壁に貼ってある詳細地図によると、下記の青線の道をたどってムワンザに向かうようだ。ブルンジの国境から等距離で進んでいくのかぁ。ああ、やだなぁ。
その他、事前の準備として宿の確保があった。4日に鉄道駅舎付近のインターネット電話屋からムワンザのデラックスホテルに電話すると、5日の夜は既に満室だという。デラックスという名前で全然デラックスじゃないけどベーシックな安宿の中ではベストだとロンプラにも書かれているように、人気があるようだ(一泊US$5)。ロンプラ記載の宿で次に安いレイク・ホテルに電話すると、シングルTs7200(=US$5.52)、ダブルTs8400(=US$6.44)、スイートTs15000(=US$11.5)で部屋はありそうな感じだったのだが、おやじが長々と説明しているうちに、インターネットの調子が悪くなって何度も電話が途切れ、何回もかけ直しているうちにとうとうウンともスンとも言わなくなって電話できなくなってしまった。ちゃんとホテルが取れたわけではないが、レイクホテルがまだ存在していて、値段もリーズナブルだとわかったのでそこで終了。どうにかなるだろう。
当日は朝5時半発なので5時には来ておいてくれと言われて、ホテルにタクシーを4時半に出してもらうようにお願いした。このホテル(Mwanga
Lodge)は車を持っていて、どんなに朝早くでも車を出してくれるという点が本当によかった。朝早くのキゴマではタクシーを見つけるのは無理だろうからだ。
バスの発着所はメインロードから一本入った四つ角に色々なバスの事務所が集まっている。宿のタクシーの運転手はムワンザ行きのAdventure
Connectionのバスが来る場所まで確認して連れて行ってくれた。
私たちが到着してすぐにバスも到着。しかし、きらびやかな蛍光塗料で塗られたバスの名前は「NBS
Exective」だった。何か間違いが起きているのではないかと周囲に確かめると、提携しているのでこのバスとAdventure
Connectionは同じことだと言われたのだった。
それじゃぁとバスの下の荷物置き場に荷物を収めるとスーツケース1つにつきTs5000(=US$3.38)のチャージ。東アフリカにくるとすぐにこれだ。これが一体正しい料金なのかどうか、本当にいつも疑いたくなる。
バスの中は天井にカーペットが敷いてあるような内装で、だからエグゼクティブなのかどうかはわからないが、全体的に埃っぽく煤けて座席も左2席、右3席の一列5席。狭い。
荷棚は割りと高さがあったので、リュックが1つ入ったが、もう一つは荷棚から自転車ワイヤーを吊り下げて目の前に垂らしておいた。私たちは3人掛けの通路側と真ん中の席なので、私が真ん中の席で上からリュックを垂らすと、窓際の女性はとても迷惑そうな顔をしていた。休憩で停車した時に出づらくなるからだろう。
まぁ、事情を話した所で理解は得られないだろうし、もとより事情を理解しあえる言語を互いに持ち合わせていないので仕方ない。相互不理解ってのは、こういう単純なことから始まるんだろうなぁ。
バスは予定よりも35分遅れの朝6時5分出発。キゴマの町から出ると途端に舗装道路ではなくなり、赤い土がむき出しの道になった。それでも窓を開けているので、もうもうと土煙が入ってくる。バスの中が最初から埃っぽかったのは、毎日この道を走っているからだろう。椅子の生地に赤土に似た色を使っているのが少しは考えがあるのかと思われた。
もちろん道は悪路だ。バイブレーションの中に入れられて移動している。まぁ、ケニアの東海岸、マリンディからラムに向かうよりはひどくなかったので、よしとしよう。あそこは鞭打ち症になるほどだったので、バンピングしそうになったらジョッキーよろしく前の座席につかまって腰を上げなければならない程だったから、一応座っていられる今日はましなのかもしれない。
10時22分、第一回目のパンク。修理に15分くらいかかるので丁度いい休憩になる。みんなバスから降りて伸びをしたり、ブッシュトイレに行ったりして寛ぐ。誰も急げなんてことは言わないことになっている。
未舗装道路の道で周囲は森ばかりだが、それでもポツリポツリと村があり、その度に数人の出入りがある。12時過ぎに停車する頃には立ち客が出るほど満員の状態になった。
昼時に停車した村では、揚げパンやサモサなどを並べたに露天が出ておいしそうだった。私たちもお昼ご飯にしようと、バスを降りて揚げパンと揚げココナッツ餅のようなスナックを購入してバスに戻ろうとしたら、さぁ大変。
バスを降りた人と新たにバスに乗り込む人がドッと入り口に詰め寄せて押すな押すなの大混雑になっているのである。この場合昼飯の買い方は「バスの窓から身を乗り出して買う」が正解でした。
やっとのことでバスに乗り込んで人垣を泳ぐように掻き分けて座席にたどり着くと、私たちの席にはもう違う人がちゃっかりと座り込んでいる。あんなに上からリュックを吊り下げて「ここは人が座っていますから」という主張をしたつもりでもお構いなした。
それでも、席を指差してゼスチャーで「そこは私が座っていたんですが」と伝えるとどいてくれた。
午後2時24分に第二回目パンク。未舗装の悪路を走っている割には今日2回目というのは、なかなか優秀なのではないだろうか。
埃っぽい、狭い席にずっと押し込められいてると、外に出られるのでパンクさえも喜ばしい事件になる。珍しく看板が出ていたので撮影しておいたのだが、今見ると8時間半かけて、やっと道程の真ん中辺りまでしか来ていなかったのだということがわかった。
バスに乗っている時点では自分の位置を把握していなかったし、バス会社から言われた12時間でムワンザに到着しますという言葉を信じていたので、「まぁ、あと3時間半の我慢だ!」と思っていたのだった。
17時4分にBuseleseleという村を通過。途中からバスに乗り込んできて英語が話せる青年が近くの席に座っていたのだが、この青年の話では、以前にこのバスを利用した時にはバスが故障してこの村に宿泊したそうだ。
ちゃんとした宿泊施設なんて全然ないので、民家の土間に寝るしかない状況で大変だったと言っていた。とりあえず今日はこの先には行けることになって、よかったと彼は言った。やっぱり、バス故障という話はよくあることなのだろうか。
陽はどんどんと暮れて19時38分にバスが停車。18時到着予定だったが、パンクが2回あったし1時間半遅れかぁ、まぁまぁだね。と思いながらバスを降りようとしたのだが、どうも様子が違う。誰も荷物を持って降りないで、まるで休憩をしにいくような雰囲気なのだ。バスの中で言葉を交わした青年に「到着じゃないの?」と聞くと、ここからバスごとフェリーに乗るのだと言う。フェリー?聞いていないぞ!
バスから降りた乗客は、フェリー乗り場の脇にある食堂で牛串焼きを食べたり、ワリニャマを食べたり、完全に夕食モード。どのくらい待ち時間があって、この先どのくらいかかるのか、さっぱり状況がわからないままボーっと待っていたのだが、食堂のおやじがちょっと英語ができることがわかって事情を聞いてみると、フェリーが来るまであと1時間以上かかるだろうし、フェリーには1時間くらい乗るだろうし、その後町まではバスで1時間かかるということだった。と、遠い。まだ全然手前だったのだ。
となったら飯を食わねば。そう覚悟した時点では既にその食堂の食事は全て食い尽くされて何も食べる物がなくなっていた。慌てて隣の食堂に駆け込み、魚の煮込みとご飯のセットを頼もうとしたらあと1人前しかないという。仕方ないので2人で分けて食べた。昼はあんな揚げパンだったし、夜は一人前の食事を二人で分けて食べている。体は泥だらけ、汗だらけでクタクタだ。
とにかく食事を終えてフェリーを待つこと2時間。長い。接続が悪い。疲れた。もう口をついて出てくるのは文句しかなかった。食事が売り切れた食堂のおやじさんは、自分のせいでもないのに「フェリーはもうちょっとしたら来ますから」とこの店で食事もしていないのに、椅子を出してきてくれたりして非常に親切だった。
9時半過ぎ。バスに荷物を残したまま、人間だけはフェリー乗り場への通路を通って、料金を支払ってフェリーに徒歩で乗り込んだ。
吹きっさらしのフェリーに乗っているとだんだんと冷えてくる。昼間はあんなに灼熱の太陽が照っていて暑かったというのに。そもそも、こんな時間まで移動すると思っていなかったし、しかもオープンエアーのフェリーに乗るとは思っていなかったので、薄着の用意しかしていなかったのだ。暖かいジャケットはスーツケースの中。バスに乗せてくれとかけあってみたが、船の上ではバスに人を乗せないことになっているらしく、拒否された。
45分も乗っていただろうか。そろそろ岸に到着する頃にバスに乗り込んでよしという指示が出て、みんなゾロゾロとバスの中に戻っていった。
ここから更に1時間9分。ようやくムワンザのバスターミナルに到着したのは、午後11時25分。すぐにタクシーを拾ってレイクホテルに直行しようとした。タクシーの運転手の言い値はTs2000(=US$1.53)だ。レイクホテルまでの距離もよくわからないが、別に高くないしそれで了承して言ってもらうことにした。
荷物を積み込んで私たちも乗り込むと、助手席に見知らぬ女性が乗っている。ちょっと待ったー!誰、この人?私たちも疲れているので、相当神経がピリピリしている。
「どうして?どうして?どうして私たちのタクシーに知らない女性が乗っているの?ねぇ、おかしいでしょ。そんなのおかしいでしょ」と言うと、タクシーの運転手は同じ方角だから、お客さんの行き先を先に行くからとか何とか言っている。じゃぁ、いいでしょう。それなら2000のうち500はこの女性に払わせなさいよ、私たちは1500しか払わない。それでいいなら行ってちょーだい。と言うと、「じゃぁ、そういうことで」とタクシーは走り始めた。この辺りはタクシーが乗り合いなのが普通なのかもしれないのだが、こんな夜中に見知らぬ人と2対2ってのは物騒な気がしてとても嫌だったのだ。タクシーの運転手と同乗の女性としては、どーしてこの外国人はこんなに怒っているのか理解できないという表情だったが、とにかく私たちの行き先を先にしてTs1500だけを受け取って去っていった。
レイク・ホテルは太い鎖を門に巻いて大きな南京錠をかけて、完全にクローズの状態。「すみませーーーん」と声をかけると、夜勤の人が出てきてゲートを開けて中に入れてくれた。空き部屋あり。良かった。ビールでも飲みたい所だったが、冷やしたビールがないと言われて諦めた。
とにかくシャワー、シャワー。水シャワーで寒いことこの上ないのだが、恐ろしく赤い土が流れ出して落ちていくので気分爽快だった。長かったー。朝4時半に宿を出て、こちらの宿着が23時半。実に19時間の移動、うち悪路13時間。これもタンザニア鉄道が腐っているせいだ。やれやれ。
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