夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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ムベヤ(Mbeya)→マラウィ:ムズズ(Mzuzu)
2007.06.21
タンザニア→マラウィ

移動内容
06:40-06:45 ムベヤの宿からバスステーションまで徒歩で移動
06:45-07:30 Sisi Kwa Sisiのフェリックス氏と落ち合い、正しいバスに乗り込んで出発を待つ。
07:30-11:25 ムベヤからタンザニアとマラウィの国境のタンザニア側から2km離れた地点までミニバス(トヨタ・コースター)で移動
バス運賃 Ts3000(=US$2.36)/人 by 現金
11:25-12:12 バスを降りた場所からタンザニア側のイミグレまで徒歩で移動し、出国手続き、コーラで一息
12:12-12:20 タンザニア側からソングウェ川を渡ってマラウィ側のイミグレに徒歩で移動し、入国手続き。
12:20-12:40 マラウィ側のイミグレから裏手の村に入って、ミニバス乗り場に到着。タクシーの運転手と値段交渉。
12:40-13:20 マラウィ側の国境の村からカロンガまでタクシーで移動
タクシー運賃 Mk1100(=US$7.69) by 現金
マラウィはタンザニアよりも1時間遅いので、
現在時間は12:20になる。
12:20-13:22 バスターミナルでバスに乗り込み、出発待ち
13:22-17:19 カロンガからムズズまで大型バスでSacramentoで移動
バス運賃 Mk900(=US$6.29) by 現金
17:19-17:35 ムズズのバスターミナルから宿までタクシーで移動
タクシー運賃 Mk300(=US$2.10) by 現金
※2007.06.18現在、US$1= Ts1271=MK143で計算。Tsはタンザニア・シリング、MKはマラウィ・クワチャ。

 ムベヤにあるSisi Kwa Sisiの素晴らしい情報とサービスにより、今回のややこしい移動を一日どうにかこなすことができた。Sisi Kwa Sisiとは何か、私たちが受けたサービスなどについては、別記(Sketch「Sisi Kwa Sisiのサービスに感動!」)を参照していただきたい。

 今日の移動は、3つの部分にわかれている。
1.ムベヤからタンザニア側のイミグレ近くまでの移動
2.マラウィ入国後からカロンガKarongaまでの移動
3.カロンガからムズズMzuzuまでの移動

 ロンプラによれば、朝早くムベヤを出発すれば、その日のうちにムズズにたどり着くことはそんなに難しくないと書かれていた。さぁ、どうなるか、やってみよう。

○第一関門の突破
 まず朝一番にSisi Kwa Sisiのフェリックス氏につきそってもらって、正しいバスに乗り込んだ。実はここが第一関門。

 このバスは、ムベヤからタンザニアとマラウィの国境のタンザニア側イミグレの近くまで行くバス。行き先に「Kiyela(-border)」(括弧内は書かれていない場合もあるが国境まで行く)と書かれたバスを利用するのだが、まずバスに乗り込むまでに騙される旅行者が多いそうだ。

 ロンリープラネットにも書かれているケースでは、旅行者とみるととても高い料金を請求するというぼったくり。その他、前売りチケットは存在しないのもかかわらず、ニセの前売り券を売ることもあるという話をフェリックスから聞いた。フェリックスのお陰で、私たちはまず第一の関門を突破することができたのだった。ありがたい。

 バスはトヨタ・コースターというハイエースよりも大型のバスで、よく旅館の送迎なんかに使われている車だ。ここでも「○×旅館」などと日本語で書かれた中古車が走っている。

 私たちのスーツケースは車の後ろの扉を開けて、最後部座席の下に潜り込ませた。この車は最後部座席が他の座席よりも高い位置にあり、私たちのスーツケースを入れることで、丁度足踏み台ができたことになって他の人に踏みつけにされるわけだが、それは仕方ない。

 バスには他にもドイツ人の旅行者が乗っていた。彼女たちはドイツのタンザニア支援組織で活動していて、休暇を使ってムベヤに遊びに来たのだそうだ。この組織は、日本の海外青年協力隊に似ているが、タンザニアに限られている。この国がかつてドイツの支配下にあった関係でこうした組織があるのだそうだ。彼女たちは、ムベヤの近くにあるクレーターにハイキングに行くということで、ガイドとともに途中で降りていった。

 見ると、ムベヤの近くには山脈が連っている。もっと深く知れば様々なハイキングコースなど、楽しめる材料が色々とありそうな所だった。

 その後は、しばらく畑などの牧歌的な風景が続く。アルーシャ、モシ、ダル・エス・サラームまで続く道もそうだったのだが、ここの道も状態がとてもいい。ケニアと比べると雲泥の差で、バスはぐんぐんとスピードを上げて目的地に向かっていた。うっほほー、この分ならかなり早く到着するかもしれない。

 ところが、そうはうまくはいかないんだなぁ。9時32分、とある町に到着すると、乗っていた乗客のほとんが降りてしまった。「ここが目的地か?」と聞くとまだまだだと言われた。そうねぇ、3時間はかかると聞いていたので、まだ早すぎる。

 大半の客が降りてしまったバスは、また一から客待ち状態になってしまった。そう、マダガスカル、ケニア、タンザニアとこれらの国のミニバスは客が満席になったら走り出すのだ。周囲には、同じくKiyela行きと書かれたバスがたくさんいる。

 客を集めるのは運転手ではなく、コンダクターと呼ばれる助手の仕事なのだが、私たちのバスは、先ほどまで一緒にいたコンダクターの姿が見えず、もっと若い男性が客集めをしている。どうやらコンダクターは見習いに任せてどこかに休憩に行ってしまったようだった。見習いは気が弱い。ステーションに集まる客は、他のバスの老練なコンダクターに全部持っていかれてしまい、他のバスが出発するのを私たちはいらいらと待つ羽目になった。老練なコンダクターは、このステーションにたむろするチンピラ風情の若者を使って、4人くらいで客を抱きかかえるようにしてバスに運び去っていくので、気の弱い見習い1人では歯が立たないのだった。

 さすがに他のバスもいなくなり、競争相手がいなくなって初めて客が集まりだしたのだった。ここに到着して1時間後、他のバスに遅れること20分、30分、40分、ようやく私たちも出発することができた。

 コンダクターも、「いやー、長く休憩できたなぁ」と満足げに戻ってきて、再出発。走り始めて30分もしないうちに、客を強引に取り込んで先発していったバスの一台が故障して立ち往生しているのが目に入った。

 見習いと正規のコンダクターはにやり。「さっきの仇をここで取るぞ!」といわんばかりに、バスの外で困っている乗客を楽々とつかまえて自分のバスに取り込んでいったのだった。向こうのコンダクターは悔しそうな顔をしていた。既に満席で走り始めているので、ここで乗り込んだ客は立つしかない。早く出発できたと思ったのに、後発のバスにしかも立ち席で乗りなおさなきゃならないなんて、運が悪いと思っていることだろう。

 1時間も待たされてうんざりしていた私たちが、今度は優位に立つ番になったのだった。ミニバスの移動はドラマチックだ。

 こうして、予定よりも1時間多い4時間かけてタンザニア側のイミグレ近くの村に到着したのだった。

○第二の関門
 フェリックスの話では、バスはイミグレから徒歩圏内に到着するので、誰が何と言おうと歩いて行けばいいと教えてくれた。

 それにもかかわらず、到着した場所は本来の舗装道路から未舗装道路に入っていった村の中で、イミグレのイの字も見えない場所だった。おっかしーなー。

 私たちが降りると、ワッと10人くらいの村人が取り囲んできた。チップ目当てに手伝おうとする村人の手を一つ一つ振り払って、どうしようかと考える。周囲の男たちはここからイミグレまでは3kmもあるので、この荷物では無理だという。俺の車に乗っていけという(もちろん有料で)。乗って来たバスの運転手に聞いても、「ここがイミグレに一番近い場所で、そうねぇ3kmはあるかなぁ、これから先へは行かないよ」というし。とにかく、徒歩20分くらいで行けると言っていたフェリックスを信じて、少し歩き出してみることにした。

 歩き始めてみると、周囲がだんだんと見えてきて頭も明瞭に動き出した。「3kmあるから俺のバイクで送ってやる」といっている男たちのバイクとは自転車のことだった。だいたい、遠いならば車で行くでしょう。なんでチャリ?しかも、私たちのスーツケース乗せたら人間が乗れないじゃないの。その点をついてみると、「に、人間はバイクの横を歩いて行けばいいのさ」という答え。その、やや焦ったように答える雰囲気からも、乗る必要がないと判断。

 つまり、イミグレまでは徒歩で行けるということが図らずもばれてしまったのだった。

 幹線道路からミニバスが停車した村の中央部まではスーツケースをひきずって徒歩で10分ほど。ここまでが未舗装の埃っぽい道なので大変なだけで、幹線道路に出てしまえばあとは下り坂の舗装道路なのでスーツケース派には楽だ。

 幹線道路に到着した途端、「俺のバイクに乗っていけ」グループが去っていった。残ったのは闇の両替商だけだ。丁度、警察官も通りかかり、イミグレは幹線道路を左手に歩いて行けばいいこともわかった。警察官は「遠くない、遠くない、歩いていける」と教えてくれた。

 さて、幹線道路を歩きながら、今度は闇両替商のセールストークが始まった。あまり闇両替商を使ったことがないので、偽札をつかまされるかもしれないとか、色々と不安はあったのだが、今回は両替せざると得なかった。

 というのも、これからマラウィに入国してすぐにマラウィの交通機関を利用しなければならないのに、昨日ムベヤでマラウィ・クワチャを一銭も得ることができなかったからだ。闇両替商といっても、今私たちを取り囲んでいる男たちは朴訥な田舎の青年の面立ちをしていて、国境付近によくいるようなチンピラ臭さが薄い。イミグレに到着する前に、彼らと取引することにした。誰に聞いてもレートは等しく、Ts1000=Mk100。事前にフェリックスから聞いていた通りのレートだったので、これでよしとして4000円弱くらいを両替した。

 ということで、第二の関門、ミニバスを降りてから取り囲む男たちの付き合いも、これで無事に終了したのだった。

○イミグレ手続き、そしてタクシー
 しかし、それにしてもイミグレが遠い。まだかなぁと思いつつ歩くとようやく「イミグレまで500m」という表示が出てきた。結局、バスを降りてからイミグレに到着するまでに30分ほどもかかってしまった。

 最後にソングエ川Songwe Riverを渡ったら、もうそこがイミグレだ。

 未舗装の道路をスーツケースひきずって歩いたり、両替商と立ち止まって両替している時間を考えると、距離にして1.5kmくらいだろうか。空身で歩けば、フェリックスの言う通り20分もあれば余裕で到着する距離だ。

 タンザニアのイミグレからマラウィのイミグレまでは徒歩で行ける。マラウィはビザが必要ないし、入国もスタンプを押しただけで簡単に終了した。

 マラウィの国境からムズズに行くためには、まずカロンガという所に行かなければならない。イミグレのオフィスの右手から村へ通じる未舗装の獣道のように細い道を歩いて行くと、やがてミニバスとタクシーが集まっている場所に出る。

 カロンガまでの相場はミニバスで一人MK200と聞いていた。タクシーの運転手が寄ってきて、MK1200でカロンガまで連れて行くという。もう一人のタクシー運転手は、あと2人集まるのを待てば乗り合いにして二人でMK300だという。つまり、いずれにしてもタクシーでカロンガまで行く場合、タクシー運転手はMK1200が欲しいらしい。タクシー料金が二人分の3倍というのは今までに体験した国と比較してもまずまずの相場だ。ミニバスを見ると、全然人が集まっていなくて、いつになったら出発するのかもわからない状態だった。

 時刻は12時半だと思っていた。タンザニアの時間ではそうなるが、マラウィは1時間繰り下がるので、実際には11時半。いずれにしても、マラウィ時間の午後5時半には日没を迎えるとすると、あと6時間しかない。どうしても、今日中にムズズまで到達したかった私たちは、タクシーを利用することにした。

 マラウィもタンザニアに引き続き、とても状態の良い舗装道路の国だった。

 タクシーは国境からカロンガまでの45kmを40分でぶっとばして(平均時速67.5kmということになる)、あっという間に到着してしまった。道もいいし、タクシーの料金もこの区間は良心的だ。これはいい。ここはタクシーを使う価値があった。

 運転手は私たちをムズズ行きのバスまで連れて行ってくれた。


○ムズズ行きのバス
 いよいよ本日の大きな移動、カロンガからムズズ。この区間にはサクラメントSacramentoという大型バスがあったので、それを利用することにした。ミニバスはMK400-600(Sisi Kwa Sisiのフェリックスの情報による)なのだそうだが、大型バスはMK760に荷物代としてスーツケース一つにつきMK140を取られた。ちょっと高い。

 座席の下に荷物専用の収納場所があり、見た目はアルゼンチンを走っているマルコポーロという車種に似ているのだが、車内に入ると、横一列には2、3で合計5人が並ぶ窮屈な作りがいかにもアフリカなのだった。

 しかも、満席に近い。

 座席の乗り心地や窮屈さからいったら、ミニバスとあまり変わりないように思われた。

 こうなったら寝て過ごすしかない。膝の上にリュックを載せて狭い空間でひたすら寝ながら耐えること4時間。

 途中から見え始めたマラウィ湖は岸辺に寄せる波もあり、広くて海のようだった。

 岸辺近くの色は茶色で、決して美しくは見えない湖。ムズズの後はマラウィ湖畔のンカタ・ベイに滞在する予定なのだが、ここで期待感が大分そがれた。

 道は、途中から湖畔に背を向けてぐんぐんと山道をあがって山越えをする。湖畔からそれた道からがワインディングロードと坂道の連続で、なかなかスピードが出せなくて、かなり時間がかかった。

 結局、到着は午後5時20分。もう日没ぎりぎりという時間だった。

 私たちの持っているロンプラは「アフリカ」という広い範囲をカバーしているものなので、ムズズレベルになると地図さえない。目当てにしている宿が到着したバスターミナルからどの程度離れているのかもよくわからなかったが、ロンプラの表現からタクシーを使った方が良さそうだと判断して、タクシーを利用した。

 国境からカロンガまでの長距離を思えば、ここの近距離でMK300は高い。しかも、行ってみると案外近くて歩いても何とか行ける距離だった。しかし、日没前にたどり着きたいと時間に追われて、しかも地図がない状態では仕方なかった。

 こうして、長い丸一日の移動は日没丁度に終了。初めて出会うマラウィ人の宿のレセプショニストの女性は、タンザニア人とは一味違う柔和なホワーンとした人で、少なくとも今日一日の疲れを癒してくれるキャラクターの持ち主だった。


 
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