夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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ブランタイレ(Blantyre)→モザンビーク・テテ(Tete)
2007.06.29
マラウィ→モザンビーク

移動内容
06:05-:06:20 宿の隣のバスターミナルに行き、テテ行きのバス料金の聞き込み。タクシー依頼。
06:20-06:30 宿からモザンビークのテテに向かう手前の国境の町ゾブエZobueに向かうミニバスターミナル(国会図書館の裏手)までタクシーで移動
タクシー運賃 MK400(=US$2.80) by 現金
06:45-08:43 ブランタイレからムワンザMwanzaまでミニバスで移動
ミニバス運賃 MK350(=US$2.45)/人 by 現金
08:43-09:15 タクシー運転手と値段交渉、ムワンザからマラウィ側のイミグレ、5km先のモザンビーク側のイミグレがあるゾブエZobueまでタクシーで移動
タクシー運賃 MK400(=US$2.80) by 現金
09:15-10:10 両替、イミグレ手続き
ビザ代 US$25ドル/人、手数料と紙代と称してMtc60+10/人
10:10-10:15 イミグレからミニバス乗り場まで徒歩で移動。
10:15-10:22 ミニバス料金確認
10:22-12:58 モザンビーク側のイミグレからテテの街中の目標にしていた宿(Univendas)までミニバスで移動
ミニバス運賃 Mtc75(=US$2.90)/人 by 現金
12:58-13:50 Univendasの部屋を見せてもらうが、Mtc785(=US$30.34)という素晴らしい値段に驚き、ここに荷物を置かせてもらって他の宿探し。Hotel Kassuendeという安宿一泊Mtc350(=US$13.53)に決定して、移動、チェックイン。
※2007.06.25現在、US$1= MK143= Mtc25.87で計算。MKはマラウィ・クワチャ、Mtcはモザンビーク・(ニュー)メティカ。

 怒涛の移動2日目だ。

 昨日午後1時40分に宿にチェックイン。すぐに宿のレセプションに今日の移動についての聞き込みを開始した。

 ブランタイレからモザンビークのテテに行くには、2つの方法がある。

 一つはマラウィのブランタイレからモザンビークのテテを経由してジンバブエのハラレに行くバスに乗って、テテで途中下車する方法。

 もう一つは、ブランタイレから国境の町ムワンザMwanzaまでミニバスで行き、そこからタクシーで国境越えを行い(マラウィとモザンビークのイミグレは5km離れているので歩くのは無理)、モザンビーク側のイミグレのあるゾブエZobueからテテまでミニバスで行く方法。

 荷物が大きい私たちは、できれば前者の方法を取りたかった。しかし、前日にバスターミナルの事務所に確かめに行くと、テテで途中下車しようともハラレまでの料金Mk3000(=US$20.98)を請求されるだろうと言われた。バス会社の人に尋ねたわけではないので、本当の所はわからないと思いつつも、一応後者の方法で行くといくらくらいかかるのかを推測してから答えを出すことに決めた。

 街中にあるムワンザMwanza行きのミニバスが出るターミナルの場所を確認しに行く。国会図書館の裏手は坂を下がったくぼ地のような場所で、そこがミニバスの発着所だった。ミニバスの常で、満席になったら出発するという方式だが最初のミニバスは朝7時から始まるだろうという情報を得た。料金は一人MK350(=US$2.45)ということで、全行程の半分くらいの道のりがこの料金で行けるということは、途中のタクシーとその後のミニバスを合わせて3倍するとしてもUS$10にも満たない。ハラレまでの料金を払うのはバカバカしい。ここは一つミニバスで移動しようという結論になったのだった。

 さて、出発当日の29日の早朝。それでもやっぱり大型バス一発で行く方法が諦めきれずに、再びバスターミナルのオフィスを訪ねた。今度は違う人が答えてくれたのだが、やはり同じ事を言われて結局ミニバスで行くしかないと腹をくくった。

 ミニバスというのはトヨタハイエースである。マダガスカルの移動では主にこのミニバスしか使っていなかったのだが、私たちはリュックだけという軽装だったからできたこと。今回のようにスーツケース2つを抱えたフル装備でトヨタハイエースを使おうというのは初めてのことだったのだ。さぁ、ミニバスは私たちを受け入れてくれるのか、どうやって荷物を積み込むのか、法外な荷物別料金を言われないか、この辺りがドキドキなポイントだった。

 Wenelaバスターミナルの隣にある宿Dooglesから国会図書館裏のミニバス乗り場までは空身ならば徒歩で25分も歩けば行けるが、荷物と一緒だと厳しいのでタクシーを利用した。タクシーの運転手は国会図書館裏手まで行く途中の道で車を停めて、ここから拾えるという。

 いや、昨日確認しに来た時にも、この道で拾えることはわかっていたのだが、この道で待機しているミニバス連中はくぼ地のミニバスターミナルで待機している連中よりもより早く客を取りたい熱血漢タイプが多かった。こういう輩は時として外国人に対して特別料金を適用したり、荷物料金と称して法外な値段を言ってくる可能性が高いので、もっとゆったりと商売をしようと考えているミニバスドライバーがいいと私たちは思っていた。だから、タクシーがここで車を停めたときは正直焦って「いや、もっと先のくぼ地に行ってくれ」と言ったのだが、時、既に遅し。血気にはやる客引きが早くもタクシーの扉を開けて営業活動に入ろうとしていたのだった。

 こうなったら、こちらも応戦するしかない。「どこまで行く?」「ムワンザまで。料金は荷物も含めてMk350だったら乗るけど」「OK、OK。それでいい」。

 早く客を集めたい客引きは、こちらが値段を知っているので割高な料金をふっかけるのは諦めてとにかく客獲得に目標を変えたようだった。まず、第一関門はクリアだ。次は荷物をどう乗せるかだ。

 連れていかれたトヨタハイエースは、幸いにも最後部の客席の後ろに少し隙間のあるタイプだった。コンダクター(車掌)は少し考えて、このスペースに私たちの荷物を突っ込むことにした。入るのだろうか、こんな隙間に。

 ムギューッと押しつぶされはしたものの、入るんですねー、こんなスペースに。いやー、驚いた。

 これで客席は一つもつぶしていないので、荷物の料金を取られる理由がなくなったので、私たちは小さく小躍り。よっしゃ、行こう、行こう!

 ミニバスに乗ること2時間弱。大きな岩山が目前にそびえる景色が見えてくると、どうやらそれが国境のようだった。

 どの国でも国境は人里離れた荒涼とした土地に引かれていて、ここも例外ではないことを物語っていると思われた。

 ミニバスがムワンザに停車して中の人はどやどやと降りていく。といってもここは街中のバスターミナルでもなく、かなり閑散とした草原の中の道路に過ぎない。さて、マラウィ側のイミグレはどこなんだろうか?その後のタクシーはどうやってつかまえるのだろうか?ってことを考える暇もなくらい、タクシーを降りるや否や、タクシー運転手と両替商に周りを取り囲まれてしまった。

 モザンビークの通貨を全く持っていなかった私たちは、この両替商を利用するしかない。問題は、マラウィ側とモザンビーク側のどちらで両替するのが得なのかさっぱり見当がつかなかったことだった。

 インターネットで確認したレートではMK1000がMtc188のところMtc160での交換だった。あまり良くない。しかし、モザンビークに入ってからではもっと悪いかもしれない。そこで、手持ちの半額をマラウィ・クワチャからモザンビーク・メティカに両替することにした。(結果としてモザンビーク側でマラウィ・クワチャからモザンビーク・メティカへ両替した方が良かった。レートはMtc170。)

 両替が終了すると、さてタクシーの金額の交渉だ。最初の言い値はMK500(=US$3.5)だった。ここに来るミニバスの中でローカルの人に事前に聞いていたのだが、もしタクシーではなくミニバスで国境を越えるならミニバス代金は一人MK100なのだそうだ。タクシーの相場は一人分の料金の3倍から4倍にしたいところなので、5倍はちょっと多いなぁ。ってことで、値段を聞いた途端に二人で「えーーー?」といいながら2、3歩後ずさると、まだ居残っていた両替商とタクシーの運転手は笑い出して、わかった、わかった、MK400にしようと少しだけおまけ。ま、いいだろう。

 荷物をタクシーに積み込んで出発。両替商の人たちも荷物を入れるのを手伝ってくれた。

 ミニバスを降りた場所からマラウィ側のイミグレまではほんの50mくらい。荷物を車の中に置いたまま、私たちはイミグレでマラウィの出国手続きを行ってタクシーに戻った。

 マラウィのイミグレの建物は、とても近代的な建築物だった。マラウィ湖を船で縦断してしまい、首都のリロングウェに行っていないので何ともいえないが、首都ではこんな建物が建っているのかもしれないが、私たちが訪れたマラウィの町並みと比べると、あまりに差があって「何でここだけ立派?」という印象が強く残った。

 イミグレから戻ると、荷物を入れてくれた親切な両替商だと思っていた青年たちが、タクシーの運転手に「客の荷物を入れるの手伝ったんだがら金よこせー!」と詰め寄っていた。あー、やっぱり。

 まぁ、私たちに詰め寄らないだけましだなぁ。やっぱりマラウィの国民は「ハート・オブ・アフリカ」だ、あはは。運転手は固くウィンドウを閉じたまま青年たちには応じない。当たり前だ。許可なく働いた者に報酬を支払うわけがない。青年たちは、車に乗り込んだ私たちにも「マダムー、ちょっとでいいからおくれよー」と懇願してきたが、そのまま車は静かに走り出した。グッバイ、マラウィ。

 マラウィのイミグレを出てからモザンビークのイミグレのあるゾブエZobueまでは5kmあると聞いていた。先ほどゴツゴツした岩山を見たばかりなので、どんなに殺伐とした国境地帯なのだろうかと思っていたら、道の両側には民家が並んでいる。え?もうイミグレ過ぎてるのに?

 運転手に聞くと、この辺りの人はマラウィ人なのだという。やれイギリスだ、やれポルトガルだと列強が入ってきて、勝手に国の線引きを行ってはいるが、人々は関係なく昔と同じく暮らしているというのが愉快な風景だった。

 イミグレに到着してタクシーを降りると、今度はモザンビーク側の両替屋に取り囲まれた。中にはチップ目当ての青年もいて、勝手にタクシーから荷物を引き出そうとしている。人の好意はすぐにありがたく受け取る性質の夫が見つめているので「手伝わせないで!」と檄を飛ばして荷物を自分達で下ろした。

 ここで残りのマラウィ・クワチャをモザンビーク・メティカに両替。レートは誰に聞いても同じで、MK1000=Mtc170とマラウィ側よりも良かった。モザンビーク側ではマラウィ通過が欲しいらしい。誰でも良かったので、最初に話をした男と両替することにした。両替商同士で客の取り合いの口論が始まったが、私たちの知ったことではない。とにかく一人の男と両替を終了。はい、記念撮影。

 モザンビーク側のイミグレでは、ビザも取得するので少し時間がかかった。入国に必要な書類とビザ取得に必要な書類に書き込んで提出し、建物の外で待っていると呼び出されて手続きが完了した。

 ビザ代金が一人US$25、それにプラスして手数料と紙代と称してMtc60+10(約US$2.71)も請求された。プラス分の領収書がなかったので、この分も領収書を書いてくれというと何もごねずに書いてくれたので、正規のチャージだと思われる。

 イミグレの建物を出て、路上で警官にパスポートのチェックを受けてからいよいよモザンビーク入国。イミグレの敷地を出てすぐの所でミニバス乗り場が見つかった。

 すぐに多くの男性に取り囲まれ、勝手に荷物を引っ張ってバスに乗り込ませようとするもの、値段はいくらだと叫ぶ者など怪しいことこの上ない。マラウィに比べるとモザンビークは気の抜けない雰囲気が漂っていると、新しい国に入っての第一印象だった。

 とにかく誰にも荷物を触らせないように、こちらも「ええい、触るな、うるさい」と言いながら、正しいバスのコンダクター(助手)を探した。最終的にコンダクターだと思われる若い兄ちゃんを見つけ出して、料金を確認。最初の言い値はMtc80だったが、一人Mtc75(=US$2.71)で交渉成立。マラウィでは最初の言い値が正規料金という、普通の社会だったのだが、こちらはやはり怪しさが漂っていた。

 今回も荷物は最後尾の座席の後ろに立てて置いたが、このミニバスはスペースが狭いので、こうすると後ろの扉が閉まらない。しかし、コンダクターはこんなことには慣れているようで、扉の下の部分と車体をヒモでくくりつけて準備完了となった。

 立ち寄る村々では、ミカンを売っている所が多く、この地帯の名産らしかった。バスが停車すると大きな麻袋にミカンを一杯に詰めた荷物を持って乗客が乗り込んでくる。

 コンダクターはその度に車に積んである荷物を上げ下ろししては隙間を詰めて上手に詰め込んでいく。この車は絶対に日本の積載量規定オーバーだろうなぁ。

 こうした村に停車すると激しく物売りもバスに詰め掛ける。大荷物を持って乗り込む人、物売りから物を買う人、おつりをもらっていないと叫ぶ人。うーん、やっぱりマラウィとは大分違う。

 マラウィにも物売りはやってきたが、もっとのんびりした雰囲気で売り買いがされていたし、バスの中では買ったものを周囲の人に振舞ったりして和気あいあいだった。モザンビークはちょっとけんか腰な雰囲気が漂っていた。

 新しい国の雰囲気にドギマギしながらも、テテの街中に突入。またしても地図のない町にやってきてしまった。しかし、周囲を見回していると幸いにも目標にしていた宿の目の前を通過したので、すぐにミニバスを停めて下ろしてもらった。コンダクターは、荷物の上げ下ろしがこたえたのか、荷物についての超過料金を口にしていたが、最初に言わなかったのは約束違反だ。そんなものは払えないというと、プイと怒って車を走らせて行ってしまった。

 さて、目指してきた宿Univendasに入ってみたのだが、宿泊料金が高すぎることから、更なる宿探し作業が始まったのだった。(テテでの宿探しについてはSketch「テテでの宿探し」を参照ください)


 
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