夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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トルコ/イスタンブール
2006.10.18 
イスタンブール、カッパドキア
あきらさん、めぐみさん

 私たちと同じく世界一周している夫婦に同じ宿で遭遇。

 同じでないのは、こちらのカップルが新婚旅行世界一周ってところ。

 「夫婦で世界一周しています」と言うと「よく二人の意見が揃いましたねぇ」という感想をしばしば受ける。

 私たちの場合は、会社をやめて旅に出るという計画から実行まで長い時間をかけてきた。だから、その間にお互いのコンセンサスもとれてきたし、予算も二人で積み上げてきたものなので、一体どんな宿に宿泊してどんな移動方法になるだろうという検討はついていた。

 しかし新婚旅行となると、一体どちらが言い始めてどうやって日本を飛び出してきたのか気になるではないか。

 あきらさんとメグちゃんの場合は、発案はあきらさんからだそうだ。

 あきらさんの初海外は学生の時のアメリカホームステイ。その後タイ5日間の旅をしたときにバックパッカーと出会い、そうした旅のスタイルを身近に感じた。その後、タイ・カンボジア、タイ・マレーシア・インド、タイ・インド・ネパールと3回の一人旅行を行い、一生を共にするパートナーと結婚前か結婚してすぐに長期旅行をしてみたいという願望を高めた。

 一方のメグちゃんは、海外旅行といえば南国リゾート、高級旅行。まぁ、バックパッカーとは程遠い「きれいな」旅行体験しかしたことがなかった。

 あきらさんがそんな野望を持っているとも知らずに付き合い始めたメグちゃんは、「二人で長期旅行をしようよ」「そうだなぁ、半年、いや1年くらいになるかなぁ」というあきらさんの巧みな説得により、ついに数年に及ぶ新婚旅行に出ることに同意。

 2005年8月1日にめでたく入籍をし 、翌月9月20日から二人で旅人になったそうだ。

 鑑真号で日本から上海から入り、中国、チベット、中国、ベトナム、カンボジア、タイ。タイではタイマッサージと英語を1ヶ月勉強したそうだ。

 ここまではあきらさんも経験済みのエリア。この後、タイからロス、メキシコ、グアテマラ、と旅は未知の地域に入ってくる。グアテマラのアンティグアではスペイン語学校に3週間通い(うち2週間ホームステイ)、これからのスペイン語圏に備えたそうだ。なかなか勉強熱心。私たちもアンティグアに滞在していたが、スペイン語ではなくサルサを習っていた。ここら辺が違うなぁ。あはは。

 このスペイン語のお陰で宿のおばちゃんと世間話できたり、イースター島にいった時のレンタカーの値段交渉ができたり、ボリビアのサンタクルスの宿のおばちゃんと日本人旅行者の通訳をしてあげて感謝されたりと、言葉ができるならではの深いコミュニケーションに役立ったそうだ。

 で、グアテマラの後は、アルゼンチン、ペルー、チリ、ボリビア、そしてアルゼンチンのブエノス・アイレスからスペインのマドリッドに飛んできた。色々と役に立ったスペイン語だがアルゼンチンだけは全く異なるスペイン語だという体験も面白かったそうだ。

 マドリッドからは、グラナダ、50度の灼熱のモロッコを体験し、バルセロナ、イタリアのヴェネツィア、ハンガリーのブダペスト、チェコ、オーストリア、ブルガリアのソフィアときて、ここトルコのイスタンブールで私たちと出会ったというわけ。

 私たちはロスから始めて、しかも2005年の1月から。あきらさんとメグちゃんは私たちと比べるとかなりハイペースで周っていることになる。

 ねぇねぇもしかして、とっても辛い移動なんてのもあったんじゃないですか?と聞くと、今まで一番辛かった移動の話をしてくれた。

 それは日本を出て間もないチベットでの移動。中国のシーニン(西寧)2575mから2800mのゴルムドを経て、5000m級の峠を2つ越えて、全部で32時間かけてチベットのラサに到着したそうだ。9月末とはいえ、高地は雪。寒いし、高山病チックになるだろうし、バスは狭苦しいし、本当に辛かったそうだ。私たちも高山病の苦しさは体験したので、この話の苦しさはよくわかる。初っ端に辛い体験をしてしまうと後が楽に思えるのだろうが、いやはや、大変な新婚旅行である。

 あきらさんは、最後にこれからの夢を語ってくれた。

 この旅の前まで勤めていた商社は海外出張などもあって勉強になったが、自分が販売した商品のエンドユーザーの顔が見えない、反応がわからないというのが不満だった。「人の喜ぶ顔が見たい」。それが今のあきらさんの次の仕事に対する思いなのだそうだ。そのために、この旅の間も英単語の勉強を行い、連続218日間の単語習得を行っているそうだ。英語を使ったこと、自分で独立してできること。時間が自由になること。

 「今までの自分の経験、そして今勉強している英語の力を使って、望みの職業を考えると通訳ガイドになるかなぁ、あ、いやちょっとまって。実はタイマッサージってのも結構真剣に考えているんですよね。あ、でも輸入雑貨もやりたいなぁ。店を開くと時間を束縛するから、それはちょっと無理かぁ。」

 いやー、珍しく熱い男に出会ったものである。「ホームページに掲載されてもらえますか?」と声をかけてから、ここまでの話を一気にしてくれた。しかも、物凄く真剣モードで。

 この間、メグちゃんは、ほとんどしゃべらずに隣でニコー、ニコーと微笑みながら話を聞いている。

 熱い夫と物静かな妻。いい組合せだなぁ。あまり多くは語らないメグちゃんだが、まなざしから察するにかなり面白そうなことを頭の中でグルグルと考えているに違いない、懐刀的存在なのだと確信した。

 この後、この2人とはカッパドキアで夕食を共にした。今度はエジプトのカイロあたりで再会できるのだろうか?


2006.10.28 
イスタンブール
ショーコちゃん

 イスタンブールの日本人宿の管理人をしていたショーコちゃんは、この紹介文を書いていることには、再び旅人に戻っていることだろう。

 長期旅行者として移動を続けながらも、時々足を止めて宿代代わりに宿のお手伝いをしながら滞在するというパターンでイスタンブールに滞在していたショーコちゃんに、幾人の旅人が世話になっただろうか。

 様々な国を旅しているショーコちゃんのエピソードは、淡々と語っている割には、後から考えると「えええ?」という内容だったりする。

 インドでは井戸水や水道水を飲んでフツーに生活してしまったために、40度の熱を越す大病になってしまった。インドの病院に行ったものの、「問題ない!」と判定され、こりゃ駄目だと隣の国に移動しようとしたのだが、国境で高熱のためにフラフラしているのが麻薬患者と勘違いされて大変だった話とか。

 イスタンブールの日本語で話しかけてくる客引きに対しては、目を半開きにして「聞こえない、聞こえない」と小さくつぶやきながら無視すると、翌日からは誰も話しかけてこないとか。(これは本当に効き目があった!)

 旅行者がリビングに集っていて話がフッと途切れた時に、絶妙のタイミングでこうしたエピソードを繰り出してくれるのだった。

 因みに紹介に使っている写真は、本人から使ってほしいともらったもの。カッパドキアでの1枚だ。友人とカッパドキアのニョキニョキした岩の散策コースを歩いていたら、岩陰から白人女性の足がニョッと出ているのを見て、ギョッとしたのだそうだ。別に行き倒れているわけではなく、眠っているようなので、その場を離れたものの、少し離れた所では鍋が残り火にかかっていて、中をのぞくと豆がぐつぐつ煮えている。「せ、生活しているのか?」。白人女性バックパッカーのたくましさに心を打たれながら煮豆を見つめている図だそうだ。色々見てしまっていますねー。

 そんな彼女を民族音楽の教授主催のお茶会に誘ったのは、クラシックの話題で盛り上がった時だった。実は幼い頃からクラリネットを学んでいたという彼女は、クラシック音楽に関する造詣も深く、楽譜も読めるし楽器にも興味がある。ウィーンでオペラデビューしたばかりの私たちともなかなか話があった(お茶会についてはSketch「ラマダン明け、バイラムのお茶会」を参照)。そんな話を聞いて、このお茶会に誘うにはうってつけではないかと一緒に行ったのだった。

 その後も、共和国記念のコンサートに行ったり、通常の管理人さんというよりもお友達として親しくさせてもらった。

 まだまだお若い方なので、旅が終わったら日本で就職するようなことを言っていたが、職場での話題が周りとあまりにかけ離れることになることは間違いない。


2006.10.30 
イスタンブール
Tumeさん

 イスタンブールの宿の受付に大きな荷物を持って入ってきた彼女に、夫が「今、管理人さんは出かけていないんですよねー、ちょっとリビングで待っていたらどうですか?」と話しかけた。

 すると彼女は、「すみません、わかりません。私、モンゴル人です」と何とか日本語で返してきた。

 そう、彼女は私たちの旅が始まって始めて出会ったモンゴル人旅行者なのだった。あまりに顔立ちが日本人と似ていたので、夫も思わず日本語で話しかけてしまったのだった。

 トゥメさんはモンゴルでジャーナリズムを学んで、現在はフリーのジャーナリストとして国内で活躍しているのだそうだ。フリーなので時間は自由になる。時々、休暇を取っては、こうして自由な旅行を楽しんでいるのだそうだ。

 小学生の頃から英語を勉強しているという彼女は、英語を話すのはモンゴル語を話すのと変わらない感じだという。確かに、よどみなくきれいな英語が出てくるのには驚いた。日本語は10年くらい前に勉強したが、もう大分忘れてしまったわという彼女は、実はロシア語もできる。モンゴルから陸続きでトルコに渡ってくるのに、ロシア語ができるというのは非常にアドバンテージが高いんだろうなぁと思って、その辺りの感想を聞くと、「まぁ、そうですねぇ。」と言ってトルコにくるまでに通ってきた国でのエピソードを聞かせてくれた。

 ある国で、タクシーを利用して中心地に出ようと思ったのだが、タクシーの運転手が朝食をまだ食べていないので、ちょっと付き合ってほしいと朝ごはんを一緒に食べることになったのだそうだ。その朝の食卓で、彼はやおらウォッカの瓶を取り出し、一杯やり始めた。それどころか「君もどう?」とすすめてきたというのだ。そもそもお酒を飲まない彼女だが、運転手がしかも朝からウォッカという状況に大変驚いたそうだ。その後に訪れた国でも、言葉ができる故、様々な会に誘われたりするが、その度にウォッカをすすめられて、かなり閉口したそうだ。ウォッカ好きならば、ロシア語できるととってもいいのかもしれない。そういえば、南米で出会った女性はニックネームがウォッカさん。かつて旧ソ連の国でロシア語を勉強していたんだっけ。なーるほど、つながる、つながる。

 モンゴル人にして、これだけの語学力を備えている彼女は、かなり裕福な家の出身であるか、かなりの努力家だ。「ジャーナリズムをやっているんだったらイギリスなどへの留学をしたかったんじゃない?」と聞くと、「もちろん、したかったけど駄目だったわ」と答えた。モンゴルにも国費留学制度があり、試験の体制もある。しかし、実体は実力よりもコネクション優先なのだそうだ。彼女の知り合いの女性もドイツ留学の試験を受験した。できは良く、絶対に自分がいけると思っていたのに、フタを開けてみたら自分よりも成績の悪い官僚の娘が合格して留学する話になっていたのだそうだ。その女性は多いに憤慨して、官僚の娘が出発するというその日に空港に赴き、関係各位が集まる前で憤懣をぶちまけたのだそうだ。すると、受け入れ先のドイツ側の関係者がこの様子を見ていて、彼女の留学も受け入れましょうという話になったのだそうだ。「そんな事までしないと、普通の人は留学できない国なんですよ」と彼女は嘆いていた。それに対して日本はいい、日本にはちゃんとした試験制度があって、真の実力を評価してもらえるから羨ましいと彼女は言っていた。

 私は日本の国費留学制度の内情について詳しいわけではないが、ある日本人留学生から聞いた話では、省庁の役人とつながりのある知事のいる県の人が奨学金を受けることになったなどというのもあったので、必ずしも広く公正に物事が運ばれているとは限らないのではないかと思っている。

 それにしても、始めて出会ったモンゴル人はとても知的で生き生きとした女性。モンゴルに対して持っていたイメージが大分変わった。


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