夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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ケニア/ナイロビ

写真の写りっぷりがアーチストの俵さん(中)。
俵さんを支える蔦田さん(左)。

俵さんのワークショップのDVD。
希望者はAfrospaceのHPから蔦田さんに連絡
してみてください。
2007.02.08 ナイロビ 
蔦田さん、俵さん


 ナイロビからモーリシャスとマダガスカルのエアーチケットの手配をしたアフロスペースの社長である蔦田さん(写真左)に俵さんの話を聞いたのが7日のことだった。

 面白い人がいるなぁと俵さんの主催したケニアの民族音楽のパフォーマンスのDVDをお借りして宿に持ち帰って見た。迫力のあるゴマと呼ばれる打楽器の演奏だった。宿のケニア人が一番興味を持って見ていたかもしれない。

 このDVDを返すため、再度アフロスペースを訪れた8日、俵さん(写真中)、その人が事務所を訪れていて、偶然にも会う事ができたのだった。

 俵さんは、18歳の時に初めてケニアを訪れてその打楽器の魅力に目覚めたのだそうだ。ミュージシャンとして世界の様々な音楽や打楽器に触れながらも日本で活動を行う中で、「やはり世界で一番好きなのはケニアの打楽器なのだ」という認識を強くし、ケニア及びその周辺の国々の打楽器と本格的に取り組むことになったのだそうだ。

 ケニアの伝統音楽は各村に伝承されていて、今でも例えば東の海岸沿線の村では主な演奏者は漁師さんなのだそうだ。俵さんはこうした村々を泊まり歩き、伝承者たちから直接音楽を教わっている。3年前から始めた年一回の企画では、こうしたケニアの各地域の伝承音楽を日本人に伝える講習会、ゴマの試合、この地方の料理講習会も含めたワークショップを行い、ケニアの音楽に対する認識を深めてもらおうという試みを行っている。

 ケニアには多くの部族が存在する。一番大きなキクユ族、有名なマサイ族など大小合わせてその数は40を下らない。そこには、ケニアという一つの国でくくられながらも、いまだに部族同士のいさかいが絶えないという問題がある。俵さんはケニアという枠組みの中で部族の垣根を越えたケニアの民族音楽をまとめいき、それによって音楽のみならずケニアの国民がまとまっていく手助けをしたいと熱く語った。

 NPO的な活動なので、今の所の活動資金は俵さんの働いて得たお金を供出している。日本語の講師をしたり、ケニアの民族音楽に興味のある人に対して、生の演奏を聞ける場所に案内するツアーを組んだりすることで得た収入を、この活動に費やしているのだそうだ。

 そんな話を聞いた2日後の10日、プラネット・サファリの男性マネージャーがケニアの新聞のあるページを見せてくれた。そこにはケニアの民族衣装に身を包んだ日本人女性の写真と彼女に関する記事が大きく掲載されていた。

 記事を読むと、俵さんからケニアの音楽を紹介されて興味を持ち、俵さんと一緒に東海岸のギリヤマ族の音楽と楽器を勉強して周ったそうだ。その後彼女は、ルオ族の伝統的な弦楽器であるニャティティに興味を持ち、またアニャンゴという歌を勉強してコンサートを開くまでになったそうだ。俵さんの活動は、少しずつ実を結び始めている。

 アフロスペースの蔦田さんは、そんな俵さんを支えるプロデューサーの役割をされているそうだ。「ま、お金がない時は飯も食わせるしね」と蔦田さん。

 俵さんについての詳しいお話はアフロスペースAfrospaceのHPを見ていただきたい。
Afrospace(http://www.afrospace.info/)

 ところで蔦田さんと話をしていて、どうしても気になることがあった。「蔦田さんは作家の椎名誠に似ていると言われたことはありませんか?」と聞くと、こんなエピソードを話してくれた。

 椎名誠は「あやしい探検隊 アフリカ乱入」というケニアを旅した時のエッセイを書いている。ある時、蔦田さんが友人の結婚式に参加するためにナイロビ市内のとあるホテルを訪れていると、向こうから日本人男性が歩いてきた。「あれ、俺によく似た顔だなぁー」とじーっと見ていると、向こうもじーっとこっちを見る。じーっと見合いながら、軽く会釈してすれ違ったその男性こそが椎名誠氏だったのだそうだ。椎名氏もエッセイの出版に関する件でナイロビを訪れている所で、とすると本人お墨付きで似ているってことになる。

 エアーチケットを探し歩いて、蔦田さん、そして俵さんとケニアに生活する濃い日本人の方と知り合うことができたのは、チケット以上の収穫だ。


2007.02.08 ナイロビ 
洋子さん


 頂いた名刺には「河上洋子」と書かれていたが、お話を聞くうちに蔦田さんとご結婚されていることがわかった。仕事上は旧姓を使っているのだそうだ。

 洋子さんはアフリカに興味を持ち、まずはナイロビの「星野学園」でスワヒリ語を勉強したのだそうだ。

 実は旦那さんの蔦田さんも星野学園の卒業生。星野学園は1982年にかつて静岡新聞の論説委員だった星野さんが始めたスワヒリ語の学校だそうだ。

 そういえば、エジプトのハルガダで出会ったトミエさんも星野学園に通っていたのだがと言うと、洋子さんはトミエさんと同期だったという。俵さんも18歳で同期として勉強していたのだそうだ。「トミエさんはとっても元気な人だったわぁ」と一緒にトレッキングに行った時のエピソードなどを話してくれた。昨年末に出会ったトミエさんの話をここでするとは思わなかったので、とても驚くとともに、自分の旅で知り合った人がつながっていることに嬉しさを感じた。

 スワヒリ語を学んだ後は、ケニア、エチオピア、エリトリア、ディグリニア、タンザニア、ウガンダを旅してケニアに戻ってきたのだそうだ。あまり馴染みのない国の名前がいくつか出てきたので聞いた所、エリトリアについて語ってくれた。エリトリアは独立の一ヶ月前で渡航が可能になったばかりの国だったそうだ。イタリアの影響を受けていて、町もきれい、人も上品でとても良い印象だったそうだ。

 洋子さんはとても落ち着いた感じの女性だが、この旅の話をしている時の様子から、好奇心いっぱいでスワヒリ語を勉強して、ドキドキしながら様々な国を巡っていた当時の洋子さんを新鮮に感じることができた。

 私が平々凡々と日本で働いている間にも、様々な体験をして現在に至っている女性に出会うといつも不思議な気分になる。あの頃の私は、人生はある程度ステレオタイプな形でしか想像がつかなかったのに、こうして思いっきり自分のスタイルで生きてきている人がいたんだという驚き、そうだったのかぁ、そんな人生もありだったのかぁという驚きだ。洋子さんもそういう驚きを与えてくれた一人なのだ。


2007.02.10 ナイロビ 
Kさん


 9日の夜半になって1人の日本人旅行者がプラネット・サファリに入って来た。

 プラネット・サファリのツアーに参加して戻ってきた所で、翌10日には日本に帰国する予定だというのに、予約していたベッドに空きがない。スタッフの手違いで、Kさんの今夜のベッドが確保されていなかったのだ。

 今日に限って屋上のテラスに張れるテントは別のツアーに必要で出払ってしまっている。仕方がないので別のホテルに宿泊しようか、それとも事務所の机を寄せてベッド代わりにしようかという話になっていた。どうしようかなぁと悩んでいるKさんと話をしていたのだが、夫はどうにもKさんの事が気に入ってしまったらしい。私たちが1つのベッドで寝てベッドを一つ提供するから、もっと話をしましょうと提案。そういうことならと、プラネットで一晩を過ごすことになったのだった。

 Kさんは臨床心理士。それってどういう仕事なんですか?と聞くと、病院の精神科に所属して、医者と共に精神面からの治療を行う仕事なんだそうだ。不登校、自閉症、自殺未遂など心に問題を抱えた人などが患者さんとしてやってくる。その人たちの心を開き、会話によって治療を行うのだそうだ。ふーむ、なかなか難しそうだ。

 患者さんはKさんという個人と話をしているのだが、個人むき出しのKさんと話をしているわけではなく、心理士としてのKさんと話をしているのである。客観的に自分を見て、自分自信の感情を抑制しなければできない。ムカッとくることを言われても怒りを抑えたり、逆に必要ならば患者さんに対して意図的に怒ったりもしなければならい。かといって、あまりに非人間的になっても患者さんは心を開いてくれないので、そこはあくまでもKさんという個人が存在する上でそういうことをしなくちゃならない。そいういうバランスがとても難しいんだろうなぁ。

 私たちは、今FXという為替取引に関心を持っていて昨年少し勉強したのだが、これも自分の感情を抑制することが大切な一面がある。例えば誤った場所でエントリーして損が出てしまったとしても、その感情を次に引きずらずに次回の取引に望むことが非常に重要である。やってみるとわかるのだが、人間というのは一度失敗すると焦って物事がよく考えられなくなるのだ。練習だから実際には一円も使っていないというのに、架空の帳簿上で損を出しただけでもカーッと頭に血が上ってドキドキする経験をした。もっと精神を鍛えて強い自分になってからでないと、とてもではないが実践には望めないという話をした。

 ある点においてはFXと臨床心理士に同じ資質が求められるという点が、お互いに面白かった。

 Kさんは、小児科の仕事も受け持っていて子供と関わることが多いのだが、自分で考えられる子供が少ないと感じているのだそうだ。「自分で考えることができない」という問題は、私たちが子供の頃から言われていた問題だと思うがいまだに解決されてはいないようだ。

 人生においては答えは一様でなく人によって千差万別であり、それが正しいかどうかはその個人が答えを出していくしかないという場合が多い。自分で答えを出すしか回答が得られない質問を子供の頃からされていると、おのずと自分で考えて答えを出さなければいけないことがわかってくると思うのだが、学校で教わることは正しい答えがあるものが多いために、いざ学科以外の事で問題が持ち上がるとどうしていいのかわからなくなってしまうのだろう。

 あと、日本人の特性として「場の空気を大切にする」というのがある。自分の立場を考えて、どのように振舞うべきか、どのような意見を持つべきかというのが決められてしまう場面があり、時として場の空気によって作られた意見は自分の本心とは異なる場合がある。これは子供に限らず現在の大人社会でも言えることである。仕事上の事であればそれもありだろうが、怖ろしいのは社会的常識として「場の空気によって作られた意見」で人生を生きてしまう人が少なくないことだ。他人の目を恐れず、場の空気を壊すことを恐れずに自分の意見を確立していくことは、日本の社会においては実はとても困難だという気がする。

 ・・・「出会った人」のコーナーなのに自分の意見が多くなってしまった。というのも、Kさんの発言が様々な考えを引き起こさせるのだった。確かに話をしていて面白い。

 で、Kさんは子供に対しては「自分で考えろ!」となるべく言うようにしているんだそうだ。そういう大人が増えてくると、日本も変わってくるだろうなぁ。

 そうそう、Kさんからの有効なアドヴァイスを一つ。それはストレスについてだ。

 ストレスを持った場合は、ストレスの原因を究明してストレスが起こらないように問題を解決するより前に、ストレスを発散する方法へのバイパスを確立することが大切なんだそうだ。

 例えば、仕事でストレスがたまった時に酒を飲むとスッキリするって人は多いと思う。でもストレスがたまりすぎて酒を飲む機会が多くなり、肝臓が悪くなったらどうする?ストレスの原因を追究する前に、他のスッキリする方法を見つけるのが先。例えばトレッキングしてみるとか、音楽を奏でてみるとか。酒を飲む以外にスッキリする方法を見つけて、そのバイパスが確立したら、ストレスの原因究明に挑むんだって。発散方法がないままストレスの原因究明に乗り出すと、自分の暗い面と向き合うことになって、逆にストレスだらけになって危険なんだそうだ。

 翌朝、「昨日は面白い話をありがとうございます」と言うと「僕も面白かったですよ」と言ってくれた。ツアーの後で疲れているにもかかわらず、無理やり相手をさせてしまってすみませんでした。でも、Kさんと話していると何でも話せそうな気がするのが不思議だったなぁ。


2007.10.12 ナイロビ 
ツジ君、メイさん


 プラネットサファリのドミトリーで一緒になった大学生の2人組みは、以前モンゴルの植林を行うボランティアで知り合いになったというツジ君とメイさんだった。

 ウガンダで出会った大学生も参加していた日本のNICEというNGOグループに所属している。NICEは世界各国のNGOとコネクションを持っていて、様々な国でボランティア活動を行いたい場合の日本の窓口になっているようだ。

 今回はそれぞれ別の経路の旅行中の二人だが、ケニアで合流して一緒にサファリを行って、また別れ別れに旅を続けるのだそうだ。

 ツジ君は大学3年で就職活動を始めるにあたり、自分が将来どうなりたいのか、何をしたいのかが見えず、とりあえず1年間大学を休学して世界を巡る旅をしている最中。ベトナム、カンボジア、タイ、インド、そしてアフリカはガーナに入ってケニアでサファリをして、今後はスイス、他ヨーロッパを巡ってアメリカ合衆国を見てから日本に帰るのだそうだ。私たちの時代には就職活動は4年の夏だったというのに、今時は3年になったらもう就職活動が始まるのだそうだ。4年の夏までぼーっと過ごして、慌てて人生について考えるよりも、もっと早い時期から考えるチャンスが与えられていると思えば悪くない。ウガンダのカンパラで出会った女性も3年の時に休学してフランス語を学びにフランスに渡り、その後パリでインターンシップをしていたのも同じ理由だったのだろう。

 一方のメイさんは日本からドバイ経由でモーリシャス、再びドバイ経由でケニアに入り、カイロに飛んで、最後はお父さんが駐在しているオランダまでの旅。娘が遊びに来てくれるのを首を長くして待っているお父さんのもとに、無一文で飛び込んで思いっきり甘えさせてもらう予定らしい。あはは、うらやましい。メイさんはモンゴル以外にインドでボランティアをした時の話をしてくれた。

 ビーガンという白人一家が始めた自然環境保護的な思想がある。その思想に基づいてボランティア活動を行う組織に参加したのだそうだが、ボランティア活動の内容はいいとして、食生活がきつかったそうだ。

 人間のわがままによる無為な殺生を禁じるという意味で、肉、魚、卵、乳製品、油を摂取することが禁じられていて、ボランティアに参加するとそういう生活を2週間続けることになる。料理は必然的に野菜の煮物みたいなものだけになるそうだ。ビーガンの体験を通じて皆が学んだこと、それは「焼肉って何ておいしいんだろう、自分はこんなに肉が好きだったんだ」ということになるらしい。あー、それでいいんですかねぇ。逆効果になっているんじゃないだろうか、ビーガン。

 こんな話を聞きながらの2夜を楽しく過ごさせてもらった。簡単な食事を用意したら、逆にビールを大量に買ってきてくれたりして。どーも、ご馳走さまでした。


ケニア/マサイ・マラ
2007.02.04 マサイ・マラ国立保護区
Noriさん、Daveさん


 マサイ・マラ国立保護区へのサファリツアーの二日目のことだった。

 サバンナのアカシヤの木の下で昼食を摂っていると、私たちのドライバーがあっちの車の東洋人女性が、私たちが日本人かどうか聞いていたと報告してきた。

 マイケルいわく、日本人だと答えるとその女性は大変に大喜びをしていたというのである。一体、どんな人だろう。私と夫は、早速ご挨拶に行くことにした。

 車の中で昼食を摂っていたのは、日本人のNoriさんとカナダ人のDaveさんだった。二人はカナダのとある小さな町でアジア料理のレストランを開いていたのだが、今はレストランをたたんで旅に出ているのだそうだ。私たちも仕事をやめて旅に出ているのでとても親近感が沸いた。しかも、今は投資にも興味があってDaveさんは株をやっているのだそうだ。私たちがFXに興味を持っているというと、「ほほー、リスクが好きなんですね」と流暢な日本語で返してくる。「いやいや、リスクは好きじゃないですよ」と、この方面でも、これから話すことがあるかもしれない。

 旅行するのも楽しいが、今後の二人は1年間、ネパールでボランティア活動をする予定なのだそうだ。私たちがネパールに行く時期に、彼らもネパールにいるはず。カトマンドゥに来る予定が決まったら連絡をくれと、早速メールアドレスの交換をして再会を誓ったのだった。

 ところがこの二人とは、ネパールの再会を待つまでもなくケニアの東海岸にあるラムという世界遺産にも指定されている小さな村で再会。二度目の出会いでは夕食を共にすることになった。Noriさんは元看護婦さん、Daveさんはウェイターなどの飲食業に就いていることが多かったそうだ。その二人がアジア料理のレストランを開いて、そこでの奮闘ぶりやアルバイトで雇った学生の話など色々と面白い話を聞かせてもらった。私たちも、今までの旅に出るまでの経緯や、旅に出てから巡った所の話などをして、その夜は楽しいひと時を過ごさせてもらった。Daveさんが日本語も理解できるので、会話が日本語でできるというのが私たちにはとても気楽だ。

 次回の再会はネパールになるだろうか。どんなボランティア活動をしているのだろうか。今から再会が楽しみな二人である。


ケニア/マリンディ
2007.02.24 マリンディ
白河輝俊さん


 ナイロビのプラネット・サファリという旅行代理店のドミトリーで出会ったのが最初。その後、マサイ・マラのキャンプサイトで会い、ケニアの東海岸沿いの町マリンディでばったり再会。

 白河さんは福岡県で造園業を営んでいて、今回は休暇でキリマンジャロ登山とサファリを楽しみにケニアに来たのだそうだ。マリンディは日本への帰国前にちょっと海を見て帰ろうとやってきたのだそうだ。

 白河さんの今のモットーは「できるだけ人生を楽しもう!」ということらしい。以前はそうではなかったのだそうだ。人当たりの良さと腕の良さがそうしているのだと思うが、造園の仕事がどんどんと舞い込んでとても忙しい日々を送っていたそうだ。ところがある日、肺に痛みを感じて病院に行くとガンの疑いがあると言われた。

 体も動かしているし健康だと思っていたのに、まさにそれは悪魔からの宣告に思われた。検査の結果、ガンではなかったものの、これまでの人生を振り返ってあまりに仕事に追われていたことに気づいた。限りある人生を楽しんで生きなくてどうするのだ、もっとゆったりと、もっと楽しく生きようと方向転換したのだそうだ。

 以来、夏と冬から春にかけては長めの休みを取ってあちこちを旅行したりしているそうだ。「ちょっと大きめの池がありましてね、そこに舟を浮かべて魚を釣って、BBQをしたりすると子供が喜ぶんですよ」って、どんな広大な家なんじゃい!と驚いて聞くと、山を持っているという。休耕田の山の斜面に池を作ったのだという。さすがご職業柄、考えることが違う。今は、そこにロッジを作って友人を呼んで楽しむのが夢なのだそうだ。夢なんて漠然としたものではなく、もうロッジを作り始めているのだそうだ。

 白河さんは本当にいい顔をしているのだ。同じ年代で朝の山手線に乗っているサラリーマンと比べたら、顔色、顔の輝き、表情が全く違う。好きなことをして生きている人の顔をしているのだ。いい人生を過ごしているのが顔に出ている人だった。

 自分の仕事量を調節するということは、自営業の人だからこそできるのであって、サラリーマンにはなかなか難しいことだ。これからの時代は、会社に振り回されずに自分のペースで生活をコントロールできること、そうしながらも生活できる収入を得られること、それが「リッチ」の基準だと感じた。

 白河さんは出会うといつも「遊びに来てくださいよ」と言ってくれる。私は九州に足を踏み入れたことがない。夫は修学旅行でしか行ったことがない。白河さんが住んでいる町を地図で見ながら、本当に遊びにいっちゃおいっかなーと今から楽しみになってきている私たちなのである。


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