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2006.08.27
グラーツ友人との再会
オーストリア:ウィーン |
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日曜日の昼下がりのグラーツ駅は、思ったよりも人が多かった。友人との待ち合わせの1時間以上も前に到着してしまったので、構内を行き来する人を観察する暇には事欠かない。
第二次世界大戦の砲火を逃れて残った旧市街がユネスコの世界遺産に登録されているというイメージが強く、町全体が古びているのかと思いきや、この駅はとても近代的で、この駅から世界遺産の香りは感じられない。
天井にはコンピュータグラフィックが一面に張られていて、ガラス張りの天窓からは曇天にもかかわらず日が入ってくるので、とても明るくモダンな駅舎。
構内の店もベーカリー、スーパー、イタリア風カフェなど健全な家庭生活の延長線上を感じさせ、オーストリア第二の都市の玄関というよりは、郊外の新興住宅地の入り口という感じがした。
例えばウィーン西駅などは、駅構内が薄暗く、一番目立つ所には酒のディスカウントが売り物のスーパー、立ち食いのケバブとピザの店などが入っていて、グラーツのこの駅と比べると裏ぶれた都会の駅を感じる。駅に入ってくる光、並んでいる店だけではない。歩いている人の顔ぶれも、有色人種が多いので、様々な人種が入り混じった都会の雰囲気がある。グラーツ駅ではあまり有色人種をみかけなかった。
だから、というわけではないが、たまたま腰掛けたベンチで隣に座っていたアジア系の女性が、興味深げに夫に話しかけてきた。彼女はオーストリア人と結婚してタイからここにやってきたそうだ。どうりで人懐っこい笑顔。さすが「微笑みの国」の人だ。
グラーツに住んで2年。「グラーツでの暮らしはどうですか?」と英語で聞くと、「駅は警備員もいるし、荷物を膝の上に載せてしっかりと抱えていれば問題ないからね」とちょっとずれた回答をドイツ語でもらった。あれれ?話が通じていないようだけれど、健全に見えるグラーツ駅だが、あまり治安がよくないというメッセージとしてありがたく受け取った。
カフェでゆっくりとお茶をして、待ち合わせ場所のベーカリーの前に立って5分。友人が駅構内に入ってくるのが見えた。彼らと出会ったのは昨年の9月、コスタリカのトルトゥゲーロという国立公園でだった。(People旅先で出会った人「コスタリカ・トルトゥゲーロ」)
あれから11ヶ月。いやー、本当に再会できるなんて、嬉しいですねぇ。
あの時は2人とも学生だったが、アンナは学業を終えて医者になって病院で働く毎日、クリスチャンは学校の先生になる試験勉強中だそうだ。
今年の5月に結婚していて、7月中の3週間のキューバ旅行はハネムーンだったんだって。
そんな話を道すがら聞きながら、今日はこれから来るまで観光名所を周って、夜はアンナのご両親宅で夕食、そして宿泊する予定になっていることを聞いた。私たちはてっきりアンナたちの家にお世話になるつもりだったので、ご両親にまで面倒をかけてしまうと聞いて、にわかに緊張が走った。
グラーツの旧市街は繁華街を中心に観光の見所が歩いていける範囲内に固まっている。駅から車に乗ったものの、繁華街近くに駐車して歩いて見物することになった。
この日の一番の目玉は、時計台。時計台の下は、岩山をくり貫いたトンネルになっている。岩山に沿った階段を登るか、それともトンネルの先にあるエレベーターで上まで登るかして時計台のある丘の上まで行けるようになっている。
実はこの二人、昨夜から友人の結婚式に参加して、今朝の4時まで店で盛り上がっていたそうだ。若いとはいえ、徹夜明けのアテンドは疲れる。「お願い、階段はやめてー」というアンナの希望もあり、下山家の異名をとる私たちは、はなから階段で上がる気はない。ということでトンネルに進むことになった。
「エレベーターで上まで昇るのと、子供向きの電車に乗るのとどっちがいい?」とクリスチャンが聞いてきた。
見ると、エレベーターの手前左手に小さな電車があり、線路が左手のトンネルに消えている。へー、こんな上り方もあるのかぁ、ガイドブックには1つも書かれていなかった。さすが地元の人とくると穴場の情報があるのねとワクワクして子供向き電車に乗ってみることになった。30分後に出発する席を4つ予約して、町をぶらついてから電車に戻る。
さぁ、出発だ。私たち以外は子供連れの家族ばかり。物語に出てきそうな太鼓腹でいかつい顔つきの運転手さんが、「さぁ良い子のみんな、電車が走っている時に立ち上がったり、後ろを向いちゃだめだぞー!」と脅すように注意する。ヒンヤリとした洞窟の中へと電車は出発。
薄暗いトンネルは、ヒンヤリと湿った空気が漂っている。と、左手にいきなりポッと照明が点り、人形劇の舞台が見えた。電車はちょっと止まって解説。
そう、この電車ではヘンゼルとグレーテルや白雪姫や赤ずきんちゃんなど、グリム童話をはじめとする有名な童話の1場面を見ることができるようになっているのだった。
クリスチャンは子供の頃来た以来だと言っていたが、きっと彼が見た時から全くメンテナンスされていないんだろーなーという古ぼけた人形が、暗い洞窟の中で照明に照らされて、場合によっちゃぁ、カクカクと動いたりする。面白いというかちょっと怖いというか。
それにしてもこの電車、一向に登る気配がない。あれあれ、洞窟は行き止まりになり、バックして別の洞窟にお尻からつっこんで方向転換して、ええええ?戻ってる?あああ、何と。私たちはこの電車で丘の上まで行くのだと勘違いしていたのだった。出発地点に戻ってきて、「さぁ、ここでおしまいだよ。忘れ物はないかな。気をつけて降りるんだよー」とおじさんの声で電車を降りた。ガイドブックに書かれていない理由が、ようやくわかった。自分達だけならわざわざ乗らないだろうが、子供時代を思い出してはしゃぐ後ろの二人を見ているのが面白かったので、これはこれで良いとしよう。
この後、エレベーターで上まで行き、丘の上からグラーツ市を見学。雨もぱらついてきたので、もうご両親のお宅に帰ろうってことになった。
ご両親の家は、グラーツの南側一帯の山の斜面に広がる住宅地にあった。
どの家も敷地が広く、青々とした木々や芝生の広がる庭がある。そんな中の1軒に車はスーッと入っていって車を停めた。
雨もあがり夕方の光が差している郊外の家は、玄関からして居心地の良さを醸し出していた。中から、アンナのお父さん、お母さんが出てきた。とてもやさしそうな雰囲気のご両親に、まずは突然の訪問を快く引き受けてくれたお礼からのご挨拶となった。
家の中に入って2階の寝室を案内され、荷物を置いて下の階に行くと、お父さんがお庭を紹介したいと申し出てきた。
庭は、家のある所から前に行くに従って下ったゆるやかな斜面になっている。広い。庭だけで幅15m×奥行き20mくらいあり、同じくらいの広さの敷地に家が建っているので、ええっと家の敷地全部で200坪くらいですか。広いなぁ。
まずはお父さんお手製のBBQセットから。
駐車場の横には大きな樹木が植えられていて、その木陰に木のテーブルと椅子が置いてある。その横にこのBBQセットを据えて、夏の暑い日には、木陰でビールを飲みながら、ちょっとお肉なんぞ焼いて食べるのだそうだ。
BBQ好きの私たちには、のっけから羨ましい話だ。焼くものを乗せる鉄板は、お父さんが時間をかけて周りを打って皿のようになっている。「この形にするのに、時間がかかったんだよねー」とお父さん。時間をかけて作っているから愛着がこもる。愛着のこもった道具で作るからおいしい。という幸せスパイラルだ。
お次は、家のすぐ前にある、その名もオリエンタルガーデン。何でオリエンタルなのかというと、旅先で購入してきた植物ばかりを植えてあるからだそうだ。
これはギリシャに行った時に買って来た花でしょ、これはモロッコから買って来たサボテン、娘達(アンナのこと)がコスタリカから買って来たサボテンもあり、先日のアンナたちの結婚式で装飾に使われていた石も置いてある。こうして、この家のオリエンタルガーデンは、家族の歴史が詰まったアルバム的ガーデンになっている。いずれも持ち帰った時は小さな鉢だったのが、今では巨大な花やサボテンになっている。お父さんのガーデニングの腕はたいしたものなのだ。
私はかつて「1年に1回だけ水をあげればいいサボテン」を買ったことがある。ところが、毎日見ているといつ水をあげたのか忘れて、ついつい「もう1年たったかもしれない」と水をあげすぎて、結局2年を待たずして枯らしてしまった経験がある。この話をお父さんの前では到底するわけにはいかん、と固く心に誓いながら、ガーデンを見せてもらっていた。
庭の中腹には実のなる樹木が多く植えられていて、リンゴやモモがたわわになっている。ポキっとモモの一つをもぎって私たちに手渡しながら、庭の説明が続く。このモモが甘くてジューシーで、味が濃い。完全無農薬なんだそうだ。
一番奥は、レタス用の葉野菜とハーブのガーデンがあり、色の濃い薄いレタス、ミントなどのハーブが植えられている。その隣には、カボチャ、トマト、ブロッコリーなどの野菜のコーナー。お見事です。どれもしっかりと実をつけている。「トマともどうぞ」と言われてもいで食べると、これも味が濃くて甘い。気をつけないと、庭を一周するうちにお腹が一杯になってしまいそうな勢いだった。
庭の一角にはロッジ風の小屋があり、これもお父さんの手作り。子供たちが押さない頃にせがまれて自分で作ってみたという。
今ではここの屋根に落ちた雨水を植物用に貯めるために使っているのだそうだ。屋根に特別な素材を使っていて、ごみが浄化されるようになっているので、この水はハーブ用。住居の屋根に降った雨を貯めている水はハーブ以外の樹木用にしているそうだ。
ハーブは風味が大切なので、通常の雨水は使わないという話は始めて聞いた。水で植物の味って変わるんですねぇ。
こうしてお庭の説明を十分に受けていたら、お母さんから「お食事の用意ができましたよぉー」。
家の中に入ったら、まずテレビのある今にゼクト(ドイツ語で発砲ワインのこと)が用意されていて、まずは皆で出会いを乾杯。グラスを持ったまま、ゼクトを飲みながらちょっとおしゃべり。こうして立ってグラスを持ったまま歓談するなんて、立食パーティー会場みたいなことを家の中でやっているってのが洒落ている。
ウィーンが舞台のオペレッタ「こうもり」では、ロシアの伯爵が邸宅でパーティーを行う場面がある。酒を飲んでおしゃべりして大笑いした後、伯爵が「じゃぁ、そろそろ皆腹が減ったろう。ご飯にしよう」と舞踏の間からダイニングルームへと参加者を誘うシーンがある。「こうもり」はヨハン・シュトラウスのオペレッタの中でも一番と言っていい人気の作品だ。ここの家のお母さんはオペラやオペレッタ好きだと聞いていたので、きっとこういうシーンの影響を受けているのかもしれないなぁ。お城のような大邸宅でなくても、ダイニングと違う所で食前酒を頂きながらおしゃべりしてから、ダイニングに移動すると、ずっと気分が贅沢になるという体験をさせてもらえた。これ、いいアイディアだよね。
夕食の詳しい写真は「本日の献立2006年8月27日夜」でご覧頂くとして、食卓での会話は様々。まず、夫婦でギムナジウム(10歳〜17歳の子供が通う学校)の先生をしていたのだが、子供が生まれたのでこの土地を購入して、専門家の手を借りながら、夏休みを4回使って、この家を徐々に作り上げていったという話を聞いた。
先日訪れたウィーンの友人のご両親も自宅を自分で作ったという話だったので、オーストリア人はこういうことが好きなんだなぁという印象を持った。最近は、暖房に使っている石油の値段が高騰しているので、ソーラーパネルを中古で買ってきて徐々に家に取り付けているのだそうだ。「この家は、これで完成ってことはないんだ。いつも何かもっと良くできないかなぁと考えると、手を入れる所がみつかるんだよね」とお父さん。家も庭もわが子のように大切に愛情をこめて育てているという気持ちが伝わってきた。
それにしても、日本では夫婦共働きでもこんな家はそうそう買えないという話から、私たちが会社員を辞めて旅に出ているという状況や、最近FXという外国為替取引を勉強し始めているという話になった。お父さんは、そんな危ないことをやって大丈夫なのかとしきりに心配していた。この話をすると大抵の人から心配されるので、これは普通の反応だ。こういう反応をしてくれる人に、どのように勉強しているのか、FXがどういったものなのかという説明をするのは、最終的に理解が得られないとしても、自分達の考え方の整理になるので非常にいい勉強の機会だと思っているから、一生懸命に話してみた。お父さんとお母さんは、話の内容は理解するが、自分達はやらないだろうという感じだったが、娘夫婦たちはこういうライフスタイルも可能性を考えてみたいようだった。同じオーストリア人でも世代間で考え方に違いがあるという反応も面白かった。
その他、学校の先生としてオーストリアのギムナジウムも現場の問題の話も、普通では聞けない話だった。オーストリアはヨーロッパの東の玄関ともいえる所に位置しているので、スロバキア、チェコ、ルーマニアなど旧東独からの移民が多い。最近ではトルコなどイスラム圏からの流入も多く、学区によっては8割が移民だという学校もあるそうだ。宗教、習慣、文化の異なる子供たちを一同に集めて教育していくことの難しさは、私たちに話すといよりも、これから先生になろうとしている義理の息子さんへのメッセージだったのかもしれない。
こうして個人的なことから、政治経済の話、時に食べ物の話など、話題は豊富で話はつきなかったが、夜もふけてきたので11時頃にお開きとなった。
図らずもオーストリアでは2軒のお宅を訪問することになったが、どちらの家庭もおもてなし上手。適当に肩の力が抜けているので、こちらも緊張を強いられることがないし、話題もこちらに気を使って話をふるというよりは、自分たちの話したいことをしゃべって、聞きたいことを聞いてくるので、こちらも自然に色々と思いついて話し始められる。こういう自然体の社交性を私も持ちたいものですねぇ。
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