夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
目次Today's imagesTravel sketch食の楽しみPeopleAccommo旅行費用
Excursion移動の記録旅先で住むとしたら更新履歴日誌問合せAbout usENGLISH
北米
アメリカ合衆国
メキシコ
中米
ベリーズ
グアテマラ
コスタリカ
南米
ペルー
ボリビア
アルゼンチン
チリ
ブラジル
ヨーロッパ
スペイン
フランス
イギリス
オーストリア
ハンガリー
ブルガリア
中近東
トルコ
シリア
ヨルダン
北・東アフリカ
エジプト
ケニア
インド洋
モーリシャス
北・東アフリカ
マダガスカル
タンザニア
ウガンダ
南アフリカ
マラウィ
モザンビーク
スワジランド
南アフリカ
レソト
ナミビア
ボツワナ
ザンビア
アジア
インド
ネパール
タイ
オセアニア
オーストラリア
 
2006.11.18 Vol.1
パルミラ遺跡(午前の部)

シリア:パルミラ
 紀元前1世紀末から紀元後3世紀にかけてシルクロードの拠点として栄えたパルミラの遺跡は、シリアの丁度真ん中辺りの砂漠の中のオアシスに残っている。

 「砂漠の中に忽然と姿を現す遺跡」というフレーズ、そしてシリアで一番の観光の目玉として、私たちはパルミラを楽しみにしていた。

 11月下旬に入ろうかというこの時期は、砂漠の朝晩の冷え込みは激しく、トルコやギリシャで遺跡をたっぷりと見てきてしまった日本人旅行者の中には、「ヨルダンのぺトラも行くからパルミラはパスしよう」という人にも何人か出会った。

 確かにこの時期は朝晩冷え込むが、暖房設備のしっかりした所に宿泊すれば、観光している日中は気温があがるので問題なく観光できる。パルミラ自体に入場料金というのはなく、所々にある博物館や神殿やアラブ城などでその都度入場料金がかかってくるのだが、私たちが料金を支払って入ったのはベル神殿と円形劇場だけ。

 この日は、朝から南端にあるベル神殿で料金を支払って見学した後、北方面に見学の足を進め、途中で円形劇場に入ったりしながら遺跡を楽しみ、最後は遠く離れたアラブ城に行って丘を徒歩で登り(10分で登れる)、城の中には入らずに城前でお弁当を食べて2時間ほど休憩し、丘を降りて夕日に照らされる遺跡を再度楽しんでから宿に戻ってきた。

 1日たっぷり遊ばせてもらって、かかった費用はベル神殿の入場料金SP150(=US$2.76)と円形劇場の入場料金SP75(=US$1.38)だけ。ヨルダンのぺトラ遺跡は入場1日券が3000円以上(2日券を購入すれば1日あたり2000円強)かかることを考えると、随分と安い。

 ところで、パルミラという地名の語源はナツメヤシのパルマというギリシア語にあるとガイドブックに書いてあったが、町中では乾燥ナツメヤシをこうして束にして土産物として売っている。

 「お一つどーですか、マダム」っていわれても、こんなにいっぱいナツメヤシ買ってどーしろっちゅーの。

 とにもかくにも、パルミラ到着の翌朝から見学を開始することにした。

 遺跡見学の費用が安い理由は、今から思えば、この朝ツーリストインフォメーションを訪れた時からいくつもみつかった。

 まずツーリストインフォメーションのオフィスの入り口のガラスがかぎざきに割れているのだが、放置されたままになっている。

 オフィスの中はガラーンとしていて、右端の部屋だけに人がいて、案内をしてくれる。

 対応はとても親切なのだが、パルミラの地図はないし、翌日ダマスカスに行きたいといっても何だか要領を得ない情報しかないし、用はちゃんと答えられる人材を置いていない。安いわけだ。

 ツーリストインフォメーションから遺跡の最初の見所となる記念門の遺跡までは大きな道路が続いているのだが、歩道も車道も未舗装。車が通る度にもうもうと砂煙があがる。ここも安い。

 記念門から右手に続く遺跡も、まぁいわばほったらかしの状態なので何の手もかかっていない。観光客用に「こちらを歩きなさい」という指定もないわけで、各個人が勝手に想像のままに歩きまわれるようになっているのだ。これも安い。

 パルミラは1980年にユネスコの世界遺産に登録されたということだが、恐らく登録される前とあまり状況は変わっていないのではないかと推測される。シリアという国の経済力がここにまで及ばないのだろうか。とにかく、いい感じにほったらかしで、ほっつき回れる、自由で安い遺跡なのだ。

 さて、もうもうとする砂埃の中を記念門に到着した私たちは、まず南端にあるベル神殿からやっつけようと、ベル神殿を探した。

 塀に囲まれた中に列柱が並んだものが見える。ここがベル神殿だった。

入り口から入って右手にある列柱の一番先まで行って
入り口を振り返った所。

神殿の表側。写真を撮影している立ち位置の右手に上の写真の
列中がある。

神殿の裏側。
 中では修復作業が進んでいて、工事関係者が出入りする入り口が開け放たれていたので、そこから中をうかがっていたら、ちゃんと料金を支払って中に入るようにと言われ、工事出入り口の右側の入り口に案内された。

 中に入ると右手に列柱が並び、真正面に神殿が見える。

 神殿の裏側にもいくつかの柱が残っている。

 本来は神殿の周りをぐるーっとこの柱の廊下が取り囲んでいたのだろう。広々とした空間に所々に遺跡が残っているので、遠近感がよくわからなくなるが、実際に歩いてみると、最初に見て感じた印象よりも広い敷地であることがわかった。




 神殿は大きな門を構えた建物で、入り口に展示してあるレリーフがよく残っていた。

 ベルという神様は豊穣の神だそうで、それと関係があるのかどうかわからないが、残っているレリーフには美しい葡萄の模様があった。

 パルミラは紀元前1世紀末に作られたシルクロードの隊商都市である。

 これが彫られたのもそんな頃だと思うと、ローマ人ってのは本当に高い水準の文明を持っていたんだと、実感を持って感心するのだった。







 ベル神殿を30分もたっぷりと楽しんでから、再び右手の記念門に戻った。

 記念門に向かう途中でも打ち捨てられたように無造作に転がっている遺跡が、よく見ると手の込んだ彫り物のされた石だったりして、びっくりする。

 記念門では、噂に聞いていた通り、「ラクダは楽だ」とどこの日本人に習ったのか、聞いていなければちょっと笑ってしまうジョークを言いながら、シリア人のラクダ乗りがいた。

 噂ではしつこくラクダに乗れと売り込んでくると言われていたが。まだ午前10時半前ということもあってか、誰も勧誘してこなかったので、そのまま記念門をくぐって柱の廊下を歩いてみた。


 記念門の後ろに続く列柱の間を歩いていると、ローマの時代物の映画の英雄になった気分がする。

 「いやー、カッコいいわぁ、カッコいいわぁ」と夫も大満足で柱の間を闊歩した。

 思えば、ここからエジプトに至るまで「見所でラクダに乗りませんか?」という業者が必ずいる。どこで乗るのか、特にどこでもいいやっていうのなら、シリアのパルミラで乗るのが一番安上がりだと思う。メジャー所のルクソールやカイロではラクダ乗りとのトラブル話をよく聞くし、値段も大幅にふっかけてくるらしい。ここは、ほら、あんまりメジャーっていう意識もないし、物価も安い国だから、乗っても良かったかもしれないなぁ。この柱の間は写真もさまになるしね。

 この柱の廊下が終わる右手に円形劇場がある。ローマの円形劇場というのは、既製品かのように同じような造りで感心するが、何度も見ていると確かに飽きてくるというのはある。それ以上楽しみたかったら、円形劇場について勉強するしかない。


 この円形劇場は修復されているのだと思う。とても美しく整備されていた。

 折角きれいになっている劇場に2人きりしかいないので、これは使いたい放題だ。

 早速夫に舞台に立ってもらって、アイーダのラダメス(愛するアイーダの為に死刑になる若き指揮官)のつもりでポーズを取ってもらった。こうして人間が立つと、この舞台の大きさがわかる。ゴージャスな舞台だ。

 ガイドブックには毎春パルミラフェスティバルがここで行われ、きらびやかな衣装を着た人の歌や踊りが楽しめるのだそうだ。

 この劇場を出て、先ほどの列柱に戻ると、その先に四面門が見えてくる。

 4本の柱で1つの大きな柱を形成し、それが4つ立っている。


 これも近づいてみるとかなり大きな柱で、青空の下にすっくと立つ姿がとても美しい遺跡だった。






 四面門の先もガイドブックの地図では列柱が並んでいるように書かれていたが、先の方に何本か柱として残っているものがあるものの、多くは柱の根元だけが残っていてあとは崩れているような遺跡だった。


 この列柱跡のずっと先の右手に、パルミラ遺跡の北端となるディオクレティアヌス城砦Camp of Diocletianがある。

 この砦のまわりにはベドウィンの子らが遊んでいて、観光客にもじゃれついてくる。

 よくみると、シリア人とは全く違った顔立ちをしている。一人の少女は、とてもきれいな目と精悍な顔立ちをしていた。

 彼女が始めてまじまじと見たベドウィンだった。厳しい生活環境の中で生きている民族の顔。子供なのだが、どこか大人びた風貌にノマドの血を感じた。

 砦自体は崩れかけているのだが、上の方から人の声がするので、見ると階段があって、何とか上に登っていけた。

 オーストリア人の白人男性と連れのスーダン人の女性というカップルがいて、スーダン人の女性がとても怖がっているのがちょっと可愛かった。スーダン人に出会えるなんて、私たちの旅も、いよいよアフリカに近づいていことを実感するではないか。「おお、スーダンですか、そうかぁ、スーダンですかぁ」と妙に感動していたら、彼女は不思議そうな顔をしていた。

 さて、ここから先はいくつかの四角柱の建物が丘の上に並ぶ場所が遠くに見える。これはお墓なのだそうだ。このお墓の中に入りたい場合は、遺跡の記念門に入るずっと手前にある博物館であらかじめ入場券を購入して、墓に入るための鍵をもらっておくとか何とかいう説明を受けた。

 かなり遠いし、アラブ城も行きたかったのでお墓は遠めから見て終了。

 この先はアラブ城までご覧の通り、何にもない風景。

 アラブ城の乗っかっている岩山は150mの高さだそうだ。この地点から徒歩10分で岩山の麓に到着し、麓から頂上までは徒歩10分だった。

 一体どのくらいかかるんだろうと心配だったが、思ったよりも簡単に登れてしまった。

 この写真の裏側には車で上ってこられる道路があるが、この道路から来たらかなり時間がかかるに違いない。

 ま、こちら側から登るのは、なかなか坂がきついけれど、はいつくばって上がる程はきつくない。

 城からの眺めは上々。

 パルミラ遺跡の向こうに広がるナツメヤシの林も見え、ここがオアシスだということが確認できる。

 遺跡の左側の方には、遠くに山々も見えていて、そこに当たる夕日を眺めるというのが一つの観光の目玉にもなっている。

 だから、この丘には夕刻訪れる人が多いようだ。昼間は遺跡を徒歩で観光して、夕方からタクシーでアラブ城を訪れるのが一つの定番のコースらしい。私たちは自力でここまで登ってきてしまった。しかも、朝から遺跡を見て、今は丁度昼時。下の遺跡ではまだ見ていない物もいくつかあるので、それを全部見てから、午後2時くらいにアラブ城に向かったら丁度夕刻に間に合うんじゃないだろうか。

 私たちは眺めの良い所でお昼ご飯を食べたかったので、昼食時にアラブ城の頂上に到着するように時間配分したので、こうなった。

 いやー、朝からよく歩いた。とにかくここでお昼ご飯としよう、と城の中に入る手前の石の上に座り込んで昼食を食べ始めた。(昼食については「本日の献立2006年11月18日昼」の写真をクリックしてご覧ください)

 午前の部はここまで。続きは午後の部で。




このサイトを友人に知らせる
目次About Us免責事項著作権とリンク
(c)2005-2006 海外生活実践研究会 All rights reserved