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2006.11.26 Vol.1
ぺトラ遺跡(第一日目午前編)
| ヨルダン:ワディ・ムーサ |
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ヨルダン観光の超目玉商品といえば、死海とぺトラ遺跡だろう。
ぺトラ遺跡を有名にしたのは、私たちの世代でいえばハリソン・フォードの人気映画「インディー・ジョーンズ」と断言してもいい。聖杯を探して最後にたどり着いたのがここペトラ遺跡だったという設定なのだ。
しかし、よっぽどのインディー・ジョーンズファンでもない限り、こういうエピソードは覚えているもののストーリーや詳細な映像は記憶の彼方に飛んでいる。私たちの宿では、こうした旅行者やもっと若い「インディー・ジョーンズって見たことないんすよねー」というオンタイムではない世代に向けて、夜ビデオ上映会を開いてくれていた。
話はザルツブルグ、イスタンブール、カッパドキア、シリアなどが登場するので、この辺りを旅してきた私たちにとっては、とても身近な地名がたくさん出てきて、思いの外面白かった。
しかし、ペトラ遺跡が登場するのは本当に最後の場面に限られている。大きな岩が両脇から迫ってくる細い道を抜けると、岩に繰り抜かれた壮麗なエル・ハズネ門が見えてくる。
この中に聖杯が隠されているのだ。次々と繰り出される質問に答えて、ハリソンフォードが聖杯のある部屋に入ると、聖杯の水を飲んだために不死となった騎士が聖杯を守っていた・・・。
あらためて面白いストーリーだと思った。お陰で鮮明なイメージを持って遺跡へと向かうことができる。
私たちの宿では、朝7時と8時の2回ペトラ行きの車を出してくれるサービスがあるというので朝7時前にロビーに下りていった。車といっても普通のタクシー。ペトラの門まで送り届けてくれたタクシー運転手は、降り際に料金を請求してきた。もう、いちいち引っかかるなぁ。
「料金はホテルが払うことになっているから、夕方5時に迎えに来てもらって一緒にホテルに戻ろう」という話で決着。運転手がホテル側から金をもらえる話を本当に知らないとしたら、もっと必死に私たちからお金を取ろうとしたはず。簡単に諦めるということは、あわよくば私たちから料金をせしめられたらいいなというタクシー運転手の引っ掛け問題だろう。インディー・ジョーンズほどではないが、私たちもペトラにたどり着くまでに色々な問題を解決しなければいけなかった。
でもここまでたどり着いたら、あとは見学あるのみ。
2日券(JD26=US$36.62)を購入して、左手の入り口へと急いだ。因みに1日券はJD21。
値段にあまり差がないので時間があって歩き回るのが好きな人は2日間がおすすめだ。ペトラ遺跡は広いから十分に楽しめる。
まずはペトラ遺跡の全体地図から。地図はチケット窓口のある建物の中に入って左手の異常にやる気がないカウンターでもらえる(はず)。

入り口のビジターセンターVisitor Centerは地図最右手の水色の丸。一番目の見所はインディー・ジョーンズに登場したエル・ハズネ。メインロードは、エル・ハズネからお墓群の左側を通って、列柱跡の前を通り、最後にはエド・ディルへと続いている。よしっ、今日の目標はこのメインロードの制覇だ。

オベリスクの墓はわかりやすい。 |
チケット入り口を通って中に入るとしばらくは幅の広い道が続く。左手には4つのオベリスクを持った岩窟墓、右手にはジン・ブロックスと呼ばれる見所がある。
そのはずなのだが、左手のオベリスクの墓は顕著なのだが、右手はどれが見所なのかよくわからないままに通り過ぎた。
この辺りは序の口。お散歩気分で緩やかに下っていく道を楽しんだ。
だらだらと下っていく幅の広い道を20分近く歩いていたら、急に両脇から岩山が迫ってくる細い道へと変わる。
ここからがシークSiqと呼ばれる岩の裂け目に出来た道で、両脇の岩は60m〜100mもあるのだそうだ。
ここから先は、こうした両脇の岩が途切れることなく続く道を歩くことになる。特に見所としてマーキングされている場所ではないのだが、私としてはこのシークもペトラ遺跡のハイライトの一つだと思う。
シーク入りたての頃は、両脇に神殿の彫り物がされていたりして、これもなかなか面白い。
長い年月をかけて岩に彫られた神殿がとろけるように朽ちてしまっているその雰囲気は、なかなか人工的には作り出せない年月というものを感じさせる。
時に大きな岩が頭上を覆い隠すように倒れ掛かっている所や、様々な形の岩があり、また色も砂岩色から赤、茶とグラデーションする岩などがあり、表情豊かにこの道を歩き続けることができる。
グラデーションした岩は、まるでチョコレートソースをかけたデコレーションケーキかプリンみたいな感じで、「おいしそう!」と喜んでいる日本人観光客がいたが、私も同感。何とも食欲をそそるおいしそうな岩道なのだ。これもシークを心地よくさせている一つの要因かもしれない。
こうしてシーク散策を楽しむこと30分。今までにないほど前方の岩が狭まった所のその隙間から、見覚えのある門の姿がちらちらと見えてくる。いよいよエル・ハズネ門とのご対面なのである。
エル・ハズネ門の登場はなかなかドラマチックだ。両脇から黒い岩陰に視界を遮られながらもちらちらと見える門は、近づくに従ってその姿を徐々に現す。
まるで門に向かってズームする映像を見ているかのような興奮を味わいながら、足が速まっていくのを感じる。
そして、いつになったら視界を遮る岩が終わるのだろうと思い始めた瞬間に、両脇の岩が終わって目の前には映画で見た通りの門がバーンと立ちはだかっているのを目にするのである。
時刻は8時7分。門の右上から徐々に太陽の光が降りてくる。待っていれば太陽の光が門にあたってきそうな感じだった。40分後の午前8時51分、はたして太陽の光は門を照らし出し、今までくすんで見えていた門が淡いピンク色に暖かく光り始め、甘く柔らかな色合いに変わっていった。

歴史と自然が織りなすこの光のショーを楽しめるのはほんの十数分だろう。切り立った岩山が立ち並ぶここでは、この時間を逃すと再び門はくすんだ色におさまっていってしまうのだ。
シークの切れ目は広場のように開けていて。全体の風景はこんな風になっている。
こんな無骨な岩の一部がとても美しい彫刻になっていて、この対比が人の心を打つんだろうねぇ。
因みに門の前には土産物屋とカフェがあって、ラクダ使いが客引きをしてくる。世界的有名観光地だから、それで興ざめと言うわけにはいかない。私たちは第一発見者なわけじゃないんだからね。
映画では6本並んだ列柱の中央にある入り口を入ってからも、様々な場面が展開していくのだが、本物のエル・ハズネ門は柵がしてある。柵の付近にはカッコいい制服姿のガードマンがいて、「ちょっと失礼」という具合には入れないようになっている。
柵越しから中を覗くと、大きな一つの部屋になっていて、壁は様々な色の石が作り出す幻想的な模様に彩られている。
エル・ハズネ門は霊廟なのだが、かつては宝物殿と呼ばれていたこともあったそうだ。「・・・その由来は、建物の一番上に乗っている壺の中に、宝物が隠されていると信じられていたことからきている。」(「地球の歩き方'04-'05」より)
壺の中に宝物があるという噂が信じられたのは、この内壁の美しさもあってのことなんじゃないだろうか。いかにも宝物がありそうな雰囲気を醸し出している。
それにしても、正面と左右にもっと奥に行けるような扉のない入り口が3箇所ある。インディー・ジョーンズファンでなくとも、この先にあの映画で見たような聖杯までの空間が広がっているのではないかと想像したくなるような暗闇の入り口だった。
ここで朝日のショーをたっぷり楽しんでいたら、エル・ハズネ門の前で1時間も時間を使ってしまった。午前9時15分、まだまだ先は長い。この辺で先に進むことにしよう。
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岩窟墓の内部は、岩目がバラの花のようだった。 |
ここからお墓群までの道のりにも、岩をくり貫いて造られた墓の跡だろうか、こうしたものがたくさんある。
しかも、あまり説明もなく、案内もされていないのだが、何となく階段があるので登れてしまったりする。安全の観点から言えばよろしくないのだろうが、シリアのパルミラ遺跡同様、なかなかやりたい放題、行きたい放題で、あっちの岩に登ってみたり、こっちの崖に食らい付いてみたりと、童心に返って遊べるワンダーランドとも言える。
左手にローマ円形劇場が見え、その先の右手の丘の上にお墓群が見えてくる。
お墓群は5分くらい階段を登った所にあるのだが、横長に続く大きな岩山に1、2、3、4、5と5つくらいのお墓がずらりと並んでいているのが壮観。全て岩を岩をくり貫いて作られたものだ。
中でも私の目を引いたのは、規模は大きくないがその模様がとても面白い墓。
横縞に流れるように様々な色の岩が積み重なった模様が、ここも長い年月のうちに彫刻の鋭角が丸まってしまった形と相まって、硬い岩のはずなのに、幻を見ているような、トロケてしまいそうな感じに見える。
いつまで見ていても飽きることがない、そんな建物だった。
この丘の上から右手前方の延びる道が、モナストリーへと続く道だ。

荒涼とした砂漠の風景には、遠目には砂岩と空の青の2色しか色彩がない。しかし、近づいてみると岩には色々な色が散りばめられているし、こんな乾燥した中にも生えている緑色の植物があったりする。
時刻は10時5分。目標のモナストリーにたどり着いてお昼ご飯を食べることはできるだろうか?
丘を降りて右手の道を進むと、左手に列柱跡の並ぶ道がある。
ここは551年の地震で崩壊してしまった遺跡だということだが、現在地元の建設会社が入って修復工事を行っているようだった。
あまり白々しく修復しないことを望みつつ、先に進むことにした。
列柱の先、右手には、こんな所にこんな素敵な!と思うようなテーブルクロスのかかったレストランがある。もちろん、お弁当を持ってきている私たちには縁のない所なのだが、ここはツアーで訪れた人がよく利用しているそうだ。
ここに白人の短期バックパッカー2人と一緒に訪れた日本人長期バックパッカーの女の子から後で聞いた話だが、ランチのビュッフェはJD15(=US$21.13)だったそうな。私たちが滞在している宿で出される夕食がJD3で、それでも「高いなぁ」と思っている人も多いくらいだから、彼女は「もちろん、こんな所で食べないわよねぇ」と思っていた。
ところが、相手は短期ユーロ圏から来た若者。「僕、お腹すいちゃったなー。あ、こんな値段かぁ。じゃぁレストランで食べるよ。」「あ、僕も、僕も」ってわけで2人ともレストランで食べることになってしまったそうな。彼女は2人の間で、持参の弁当を食べて過ごしたそうだ。確かに、ユーロの世界から来た人にとっちゃぁ、あまり高くもないご飯であるが、ヨルダン物価からしたら、とても高級なレストランである。
このレストランから右に折れていく道がモナストリーへの道である。
ずーっと前に「お墓の群れ」の丘から降りてきた時から、ロバ引きやラクダ引きが「モナストリーは遠いよー、歩いたら2時間もかかるよー、歩いてなんて絶対にいけないよー」とかまびすしく勧誘をしてきているのを全部無視して歩いてきた。
しかし、心の内では本当に歩いていけるのかという不安がなかったわけでもない。まぁ、だめなら途中からロバに乗ってもいいやと、モナストリーへの道を歩みだした。
その道に入ってすぐに、ちょっと脇にそれて小さなお墓もあり、そこを見学して元の道に戻ろうとすると、前方から顔をガイドブックで全部隠した旅行者が近づいてくる。怪しい奴だなぁ。と避けて通ろうとすると、私が避けた方にそいつも避ける。逃げても逃げても同じ方向に立ちふさがってくる。
いやぁーーー、変な奴だぁーーー。と逃げようとした瞬間、「バーっ」とガイドブックをはずして顔を出したのは、何とヴィクトールじゃないか!ヴィクトールと初めて出会ったのは、シリア北部のアレッポという町だった。それから、シリアのハマでも会ったし、ダマスカスからアンマン行きのバスも一緒だった。
イタリア人の父とチェコ人の母を持つ彼は、チェコ生まれのチェコ育ち。イタリア人の顔立ちなのに、「お洒落や女の子の話ばかりに人生を費やしているイタリア人にはなれない」と断言する生粋のチェコ人に育っている。
とはいえ、イタリアの明るい血は隠せない。いつも陽気で楽しい奴だった。今回も登場も彼らしい。再会を喜び、モナストリーまではあと50分歩けば到着するという貴重な情報をもらって私たちは元気が出てきた。
チェコでは古いアメ車のリムジンを使って市内を観光するツアーを行うビジネスをやっているそうだ。
「チェコに来たら連絡して!リムジンとシャンパン無料で市内観光してあげるから」と飛び切りの笑顔で言ってくれた。実際に訪ねたら知らないって言われるかもしれないが、それでもいいいやって思えるくらい素敵な笑顔だった。
ということで、再びモナストリーに向かう。坂はどんどんときつくなり、しまいには階段続きでどんどんと登っていく道。それでも彼のいう通り50分も歩くとモナストリーに到着することができた。
モナストリー、現地の呼び名はエド・ディルと呼ばれている。予定通り11時20分に到着。

ほほー。これはエル・ハズネ門にも勝るとも劣らず美しい霊廟だった。こちらはばっちり陽の光を浴びて、この土地特有の柔らかなピンクがかった色合いになっている。いいねぇ、ここいいです。
エド・ディルの先にビュー・ポイントと書かれた看板が見えている。お昼ご飯の前にそこまで見てこよう。
ビューポイントは、この辺りで一番高い地点になる。そこから先は、岩山ががくんと落ち込み、その先は山が続いていて、ずーっと先に平野が見える。
この平野の部分がイスラエルという話を、店番をしている兄ちゃんが教えてくれた。
ビューポイントにもお土産物屋のテントがあって、銀の首飾りなんか売っているのだ。売れるのだろうか?
ここからの眺めは、うーん、スゴイと言えばスゴイ。イスラエルの平野まで見渡せるんだからね。でも、何というのだろうか、南米のエル・チャルテンでトレッキングして緑色の湖の向こうに万年氷河を見た時の喜び程じゃない。そんな感じ。色が悪いのかなぁ?
折角行ってみたビューポイントが達成感がなかったので、やはりここは一つ「やったー!」感の出るエド・ディルで昼食ということにした。丁度、正面に大きな岩があり、ここによじ登ると上が平らでピクニックにぴったり。
ここでお昼ご飯を食べて、素直に来た道を戻れば楽勝の第一日目で終わるはずだった。ところが、意外にスムーズにエド・ディルまで到達してしまったので、こんどはちょっと冒険してみようかと欲を出したのが午後の失敗の始まりだった。(午後編に続く)
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