ザンビア/リビングストーン |
2007.08.20
Jolly Boys Backpackers
Mさん&Kさん
一年間で世界一周新婚旅行を始めて4ヶ月目のこの夫妻とは、リビングストーンの宿で同宿だった。
アフリカではケープタウン発、ナミビア、ボツワナ、ジンバブエを巡るオーバーランドツアーに参加して、現在ジンバブエからザンビアに来た所。私達も同じようなコースを周って来た(ジンバブエは除く)ので、オーバーランドのツアー内容と料金には興味があり、色々と情報を交換させてもらった。オーバーランドツアーでは公共の交通機関を使って行きにくい場所もカバーしている。全ての見所の料金が含まれているわけではなく、時々オプショナルで別料金を支払わないと行けない場所もあるので、会社によってどういう規定になっているのかまで含めて料金の比較をする必要があるようだ。
ざっくりとした料金比較では、やはり公共の交通機関で安宿を利用した方が安い。しかし、仲間ができること、効率よく隈なく周れるという点は魅力的だった。
さて、お二人はロンドン→ヨーロッパ→中東→アフリカと周ってきて、この後は再びヨーロッパ→南米→オセアニアというコースだそうだ。社会人の長期旅行で学生のバックパッカーよりも予算に余裕がある。アフリカで部分的にオーバーランドツアーを使うとか、この後「マラウィでゴルフしましたー!」というメールをもらったり、最後のオセアニアでは日程に余裕があれば新婚旅行らしくニューカレドニアでちょっとリッチなビーチリゾートも含めたいと語っていた。全て贅沢をするわけではなくリビングストーンではバックパッカー宿に宿泊するなど、予算の使い方に緩急をつけているのが柔軟な感じで共感できた。
この二人が世界旅行で目にして感じる所は、私達のそれとは又異なっていることだろう。来年の3月にオセアニアにいるらしい。私達も来年の3月はオーストラリアにいる予定なので、もしかしたら再会できるかもしれない。その時には二人の見た世界を聞かせてもらいたい。
そうそう、「新婚旅行」「世界一周」。この二つをやっている夫妻に出会ったと言うと、若い独身の女性バックパッカーは「うわー、羨ましい!」ととろけそうな目で叫ぶのが面白くて、時々話題に出させてもらっている。この場を借りて、ネタにさせて頂いていることをご了承いただきたい。
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2007.08.21
Jolly Boys Backpackers
Slava Shumowskiさん
最初に出会ったのは南アのケープタウンからナミビアのウィントフックに向かうインターケープというバス(19時間)の中だった。後ろの席だったスラワSlavaは、私達に「日本人ですか?」と話しかけてきた。
その時、自分はシンクタンクに関わる仕事をしているのだが、日本が経済発展を遂げた理由として、日本語という言語が日本人の思考方法に大きな影響を与えて、他の追従を許さない発想、工夫をさせているという考え方に共感し、日本に興味を持っているという話をした。初対面からいきなりハイレベルな話題を提供されて面食らったのだが、とても紳士的な人で感じがいいなぁと思っていた。その時はバスの席が前後だったし、あまり話しもできずに別れたのだった。
それから20日ほど経て、ここリビングストーンの同じ宿で再会するとは!
この時、「ね、人生っていうのは素敵なことに満ちているんですよ」といいながらニッコリと握手を求めてきた。
彼は仕事の関係でボツワナのハバロネという町でカンファレンスに出たりしていたのだが、それも終了して再びナミビアのウィントフックに向かうという。その後でアンゴラでミッションがあり、今まで同僚が失敗してきたミッションに自分が行く番になったのだが、うまくいくかどうかわからないと語った。
ええっとー。知れば知るほど魅力的かつミステリアスな人に思えてきた。こんなに話が面白くて、様々な方面に対しての知識があって、腰が低くて、映画の主人公みたいに落ち着いて、キザなセリフも嫌味なくいえる人。一体何者なんだろうか。かつて話が面白くて、様々な知識に通じている人に会ったことがあり、実はその人は放言癖があり話も作り話らしいと他の人から聞いたことがあった。もしかして、この人は詐欺師かも?などと超失礼な想像をしてしまう私達だった。
それにしても、日本に興味を持って、日本を知りたいと思っている彼から繰り出される質問は、普段私達があまり考えたこともない事が多いので、とても面白かった。日本語が思考に与える影響についてとか、日本人の自殺が増えた原因についてとか、日本人のアイデンティティーはどこにあると思うかという質問。話していると、日本人っていうのは共同体の一員という意識が強く影響している国民なんだなぁという発見や、全ての共同体から外れている今、じゃぁ私達のアイデンティティーはどーなっちゃってるんだろうかということを考えたり。
私達が仕事をやめてこういう生活を送っているというと、それならブルース・チャットウィンBruce
Chatwinの"What am I doing here?"を読むといいと紹介してくれた。チャットウィン氏はかつてサザビーの会長職まで勤めたあと、突如として世界を放浪する旅に出て、「人間はそもそもノマディック遊牧民的な生活をすべきなのだろう」と言っているというのだ。1つの組織、共同体に属して留まっているから、権利権益の分配にまつわる闘争が起こる。また、共同体意識にがんじがらめになって自由に物事が考えられなくなり、為政者にコントロールされやすい状況になる。そうなると、為政者はやりたい放題となり共同体に属している人は閉塞感を感じ、ひいても共同体そのものも、それに属する人々も幸福になれないスパイラルに陥る、あるいは腐敗する。全ての人が流動的ならばそういうしがらみが発生しないし、常に新しい風に触れることができるというのが主旨らしい。面白そうではないか。
こうやって何度も話をしているうちに、折をみて何の仕事をしているのか聞いてみた。すると、大学図書館やシンクタンクに依頼されて様々な国に関する詳細な資料や文献をその国に赴いて買い付ける仕事をしているのだという。書籍がない場合は、政府の要人に会ってヒアリングをして情報収集もしているのだそうだ
だからボツワナのハバロネでカンファレンスに出てヒアリングを行っていたのだ。
ザンビアなどにおいては、その文化・風習に関する文献は町の図書館に行っても置いていないし、本屋にも見つからない。それなのに、リビングストーンの土産物屋でひょいと売っていたりする。こんなのは決してインターネットにひっかかってこないし、人が足で探さないと見つからないので、こういう仕事が成り立っているのだという説明だった。
アンゴラも文献買い付けに行くのだが、今までに行った同僚はビザを取得する段階で失敗して国に入ることすらできないということだった。確かにアンゴラに正式に入国するのは難しいらしく、うっかりボーダーポストを越えて国に入ってしまってから警察にチェックされてもう一度ボーダーに戻ったという話や、国境が不明確なので、隣国との間を何度も行き来するはめになり、結局3回もビザ代金を支払ったという旅行者にも出会った。何かを買い付けするために特別なビザを必要とするのなら、なお更難しいだろう。
世の中にそんな仕事があるのかという驚きと、ああ、だから様々な分野に対して深い知識を持っていたのかという納得が同時に起こった。スラワはポーランド人の母とロシア人の父を持ち、ポーランドに生まれたのだが、やがてロシアに移住し、20歳の時に奨学金でイギリスの大学に留学したのだが、縁あってドイツ人の家族の養子となった。つまり、ロシア語と英語とドイツ語のトリリンガルにして、仕事のためにアラビア語もできる。夫は、そういう何ヶ国語も操れる知識人を雇って書籍の買い付けをさせている、イギリスやアメリカの大学、シンクタンクの存在、ひいては英語がようよう操れる程度の日本のシンクタンクとの大きなレベルの差に愕然としていた。スラワは日本のマッキンゼーに入りたいと書類を送ったのだが、全く閉じられた社会で受け入れてもらえなかったという話も聞き、なんというもったいないことだろうと思った。
スラワのような人には今まで出会ったことがない。そういう人がこんな安宿にいると思うと、これからの旅も面白くなりそうな期待が起こって楽しくなってきた。
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2007.08.24
Jolly Boys Backpackers
Inna Gershteinさん
イナとは8月23日に行ったザンベジ川のラフティングで同じボートだった。このボートは運が悪く1番目の波で転覆して2名のリタイアを出すという大惨事に見舞われたのだが、この時に大活躍したのがイナだった(ラフティングの様子はSketch「ザンベジ川でラフティングはこわ〜い!の巻き」参照)。
翌日、イナと顔を合わせて「昨日は大変だったよねー」と話をしたのだが、それにしても20代と思われる若いイナは、どうしてあんなに女性を上手に勇気付けることができたのか。それが不思議で彼女の仕事を聞いてみた。すると、まだ学生なのだがミッドワイフ(助産婦)の勉強をしているのだそうだ。もう実研修などもあって、アフリカでも助産婦のボランティアの仕事を終えて旅行しているくらいなので、お産に苦しむ女性やパニックに陥りそうな女性をいつも目にしているということだった。なーるほど。そういうことだったのか。納得。
彼女はもともとロシア人なのだが、家族とともにカナダに移民してきて、今はカナダの大学に行っているのだそうだ。じゃぁ、カナダで就職するの?と聞いたら、自分の仕事は世界中どこでもあるし、アフリカでボランティアしてみて、この仕事の素晴らしさはどこでも体験できることがわかったので勤務地にはこだわらないと言っていた。なんかグローバルっていうか、晴れ晴れとしているっていうか。ボートでの彼女のキッパリとした態度も見たし、明るくて優しくて強くて温かい。そんな人柄がとても魅力的な女性だった。
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2007.08.27
Jolly Boys Backpackers
森田聖也(せいや)さん
同じくJolly Boys Backpackersに同宿だった森田さんは、現在ニュージーランド在住。
ワーキングホリデーで訪れたニュージーランドだったが、そこで出会ったニュージーランドにある氷河に小型機で上陸するというツアーを行っている会社が、今後の日本人観光客需要を見越して森田さんを採用し、今はその会社で働いているのだそうだ。ワーホリで海外に行く人は多いと思うが、その地で縁あって就職したという人には初めて出会った。
今は会社の仕事をしながらパイロットの免許も取得しようと勉強中なのだそうだ。パイロットの資格というのは、飛んだ距離によって経験が加算されて上のクラスに行けるのだが、氷河のツアーは1年中飛べるわけではないので、経験を積みたいパイロットはオフシーズンに別の場所に行って経験を積むこともあるそうで、今回の旅ではそんな同僚のニュージーランド人パイロットがタンザニアで飛んでいるのを訪ねることも目的だったと語る。
タンザニアにいる同僚は、キリマンジャロを上空から見る観光フライトの仕事をしているといて、今回は無料で乗せてもらえたのだそうだ。今年は天候が不順らしく、いつもなら晴れて地上から見える季節になっても山が見えていないらしいが、上空からなら問題なく見ることができたのでラッキーだったと言っていた。確かに、私達も雨季が明けたはずの6月にキリマンジャロの麓の町、モシにいたのだが、なかなか晴れなくて1度しかみられなかったし、この後訪れたウガンダも乾季のはずなのに、雨季が前倒したように大雨が降り洪水の被害が出ているとも聞いた。
この氷河ツアーの会社の他にも、そもそも天体が好きで天体観測などにも行っているうちに、そちらの会社でも夜だけ天体ツアーの解説者として仕事をしてくれないかとオファーがきて、今は二足のワラジをはいている。
かなり忙しいのでは?と聞くと、「いやー、好きなことをやっているだけだから、全然忙しくないですよ。遊んでいるようなものですよ」という。日本で仕事をしている人は「忙しい」というのが挨拶のようになっていたことを思い出すが、「忙しい」っていうのはやりたくない事を無理やり長時間やらされると出てくる言葉であるかもしれない(「サイト更新で忙しい、忙しい」と口走っている私はどうなのか、という問題にもなる)。
ニュージーランドは多くの移民を受け入れている国で、中国人、日本人なども大勢住んでいて、外国人として生活がしやすい場所なのだそうだ。特に森田さんは偶然にも国立公園に指定された区域の中に建っている家に住むことになり、非常にいい環境らしい。そうだろーなー、国立公園の中って。。。
来年、私達もニュージーランドを訪れる予定だ。森田さんと会った時は、まだガイドブックさえ入手しておらず、「はぁ、氷河ですかぁ」「はぁ、天体ねぇ」とまるで何もわからずに話を聞いていたが、これを書いている今、ネパールのカトマンドゥでロンプラも購入してパラパラとめくってみたら、私達が行こうとしているコースに森田さんのいるマウント・クックも入っている。会社も紹介されている。ほー、これは行くしかない!
しかし、ロンプラのトラベル・ヒントに、ニュージーランドのアウトドアはお金がかかって、あなたの財布の中身を吸い尽くす勢いだ。どれかに絞って、他は次回のお楽しみと考えてリラックスすること」と書かれている。よーく検討しなくっちゃね。
森田さんの働いている会社
Mount Cook Ski Planes(www.mtcookskiplanes.com)
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ザンビア/ルサカ |
2007.08.20
Jolly Boys Backpackers、ルサカの宿
滝沢 祥子さん
滝沢さんは、海外青年協力隊のザンビア隊員だ。私達がリビングストーンのJolly
Boys Backpackersに宿泊している時に、他の隊員の人たちと休暇を使ってボツワナに旅行する途中で、同じ宿に宿泊していて知り合った。
ザンビアで活躍している協力隊員の人々は、それぞれの地域に散らばって活動しているのだが、国の大きな問題としてHIVがあるために、他の国の協力隊員よりもHIVに関わる仕事をしている人が多い印象を受けた。滝沢さんも青年の教育に関わっているそうなのだ、青年といっても滝沢さんよりも年上の35歳までが対象者に含まれるために、色々と苦労もしているようだった。
リビングストーンのある夜、ザンビア隊員の人と話をしていて各国のアフリカに対する国際援助についての話が出た。ザンビアにも各国から巨額の援助金がODAとしてばら撒かれているが、多くのアフリカの例にもれず一部の上層階級の懐に入ってしまって、現場にちゃんと届いていない現実を目の当たりにしているという話だった。
そこで「援助とかボランティアとかって必要だと思いますか?」と単刀直入に聞いてみると、援助やボランティアはある意味、その国の人を甘えさせてしまうのでよくない面がたくさんあるという意見に皆納得しているようだった。子供達を相手にしている人も、こんなに貧困が叫ばれている国にも関わらずノートや鉛筆が豊富に与えられているので、非常に粗末に扱う子供が多くて驚くという状況もあるようだ。しかし、それでも、自分が何かを行うことで少しでもこの国の人が変わっていくのなら、自分のやっていることに意義があるというゆかりさんという女性の姿勢がとても印象的だった。
そんな話の中で、ザンビアで日本人による「こしひかり」の実験栽培が行われていて、実験で生産された「こしひかり」を買うことができるという耳寄りな話も聞けたし、ザンビアの食品でチカンダというある植物を使ったこんにゃくのような加工食品があってなかなか食感が面白いという話も聞けた。そんな話を受けて、ルサカ在住の滝沢さんが、私達がルサカに到着したら宿に「こしひかりとチカンダを差し入れしましょう」と提案してくれたのだった。
約束の日、滝沢さんはこしひかりの生米とともに、おにぎりに日本から入手したふりかけ、それにチカンダを添えて持ってきてくれた。久しぶりの日本米は本当においしくって、頂いたお米も大切に食べることにしたのだった。少しずつ食べて、最後はネパールのポカラで楽しんだ。
リビングストーンでは、ルサカからムプルングの行き方を皆に尋ねた時に、近くに住んでいる隊員にその場で電話して状況を確認してくれたのも滝沢さんだった。通りすがりの旅人なのに、こんなに親切にしてもらって、私達は感動しきり。アフリカの旅では何かと戦いが多くて、あるいは親切の裏には必ず商売があった。無償で親切を受けることをすっかり忘れかけていた私達だが、久しぶりに「同国のよしみっていいもんだなぁ」と心温まる思いがしたのだった。
滝沢さん、この場を借りて、あの時のお礼を申し上げます!ザンビアでの任務は苦労が多いと思いますが、実りも多いのではないでしょうか。体に気をつけて頑張ってください。
チカンダってこんなのでした。
→本日の献立2007年8月28日夜 写真をクリックして詳細を見てください。
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